雪の花-六

-暗闇に揺れる過去-







泰衡様にお仕えして、数日が過ぎた。
少しづつ仕事にもなれてきたし、
銀さん、琴さんも相変わらず親切にしてくれる。

泰衡様には、お会いできる機会は
少なくなってはいるけれど、それは仕方のないこと。
それでも、たまに見かけた時は私のことを気にしてくれて、
それがとても嬉しかった。そんなある日…。



***



さん、ちょっと良いかしら?」


夏美さんに呼ばれた。


「はい、なんでしょう?」

「ちょっと蔵の片付けをして欲しいのだけど…」

「はい、わかりました。」


私は頷くと、蔵の間取りや片付けるもの
の指示を書いた紙を受け取った。


「蔵の中は暗いから、ろうそくを持っていってね。」



***



なるほど、戸口が開いていても、奥の方は真っ暗だ。
それにしても、


(……広い蔵)


ずっと続いているかのように見える暗闇に不安を感じ、
仕方なくろうそくに火を点けた。
確認した限りでは奥の作業が多いようだったので、
私はろうそくを片手に蔵の奥へと入っていった。



***



しばらくして片付けも終わり、
戸口に戻って来ると、戸が閉まっていた。
押してみたが何か引っ掛かっているようで開かない。


「すみません!誰かいませんか?」


仕方がないので誰か呼んでみたが、返事はない。
途方に暮れていると、戸の向こうで声がした。


「生意気なのよ!銀様に馴々しくして!」

「泰衡様にまで、信じられないわ!」


突然で驚いたが、自分に言われていることだと気付いた。


「…でも、それも空が戻るまでよ…。
 それまでに一度は憂さ晴ししないとね…。」

「今日一日仕事さぼったってわかったら、きっと…。
 フフッ、せいぜい反省なさい!」


最後にそう言うと、足音は去っていった。
自分がそんな風に周りの人たちに思われていたなんて…。
言われた言葉はどれも悲しかったが、一番胸を打ったのは

『空が戻るまで』

と言う言葉だった。やはり自分は空さんが戻るまでのつなぎ。
もうすぐここを出ていかなければならないのだということを思い知った。
本当は最初からわかっていたが、考えたくなかったのだ。

気付かないふりをして、知らないふりをして…ずっと過ごしていた。
気づいたら、空さんを恨んでしまいそうで…。

空さんが戻ってこなければいいのに…。
そんな考えがやはり頭をかすめて、自分が恥ずかしくなった。
自分のことしか考えていない自分自身に腹が立った。
琴さんにとっても、大切な方なのに…。


「ごめんなさい…琴さん。……ごめんなさい…空さん…。」


まだ見ぬ空さんにも謝った。
きっと私よりずっと立派な方なのだろう……。
やっぱり私はここにいるべきではないのかな…。
落ち込み下を向いた時、コトンと音がした。
振り返ると、ろうそくが倒れて側の木箱に火が移ってしまった。


「!?」


まだ小さい火、早く消さなければ、
と思ったが揺れる炎を目にした時、恐怖で足が竦んだ。


「あ…、ああ…。」


暗闇で揺れる炎。



(熱いか…?苦しいか…?だったら泣け!泣き叫べ!お前の涙が枯れるまで……!)



暗闇から恐ろしい声が聞こえた気がした。



***



(おかしいな…?)


銀はは仕事を終えたはずだと言っていたのに、どこにも姿がない。
は仕事を終えると大概、いる場所は決まっているし、
金と共にいることも多い。だが、今は金の姿も見えない。


(散歩にでも行ったのか…?)


なんとなく、庭をうろうろしていると、焦げたような匂いが。
そして………


「いやあぁぁぁぁ!!」


突然、切り裂くような悲鳴が!今の声は…


!?」


不安にかられて駆け出すと、金が蔵に向かって吠えていた。


「金!どうした?」


金が向かっている蔵から、くすぶったような煙が出ていた。
さっきの匂いはこれか…。
まだ大したことはないが消し止めなければ、蔵全体が火事になるかもしれない。


「泰衡様!」


駈けてきた銀に、消化の指示を出した。


「わん!わん!」


銀が去ってからも、金は蔵に向かって吠えている。
……まさか!が!?蔵の入り口に近づくと、
なぜか外側から鍵がかかっていた。


!いるのか?」


戸口を叩いて呼び掛けたが返事がない。
急いで閂を外すと扉を開けた。
中に入ると、は戸口からそう遠くない位置に座り込んでいた。
だが頭を押さえて、震えている。


「……?」


俺が呼び掛けると、ビクリと反応し、ゆっくり顔をこっちに向けた。
その瞳には涙をいっぱいにして、不安そうに俺を見た。


「や…すひ…ら…さま?」


震える声で俺を呼んだ。
まだ不安そうな顔のに、俺はそっと手を伸ばすと頭を撫でた。


「大丈夫か?」


するとは、俺に抱きついた。
驚いたが、は震えていた。
今は正常の状態ではないのだろう。
俺はを立たせると、ゆっくり蔵を出た。


「泰衡様!」


消化の準備をした銀が戻っていた。
を見ると心配そうな顔をしたが、俺が様子を見ると言うと、
他のものと消化にあたった。
火事のことで人が集まっていたのか、
と共に賄いをやっている女がいた。

どうやらを蔵に閉じ込めたのは奴らのようだ。
火事にまでなるとは思っていなかったのだろう。
惨憺たる様子を見て青くなっている。
腹立たしかったが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
とにかく、を休ませるのが先決だ。
あとを銀に任せると、俺はを連れて部屋へ戻った。



***



部屋に入ってもは俺から離れようとしなかった。
正直困ったが、無理矢理引き離すことはできずおとなしくしていると、
俺を掴んでいたの力が少し緩んだ気がした。


?」


呼び掛けたが返事はない。
不思議に思い、顔を近付けると、微かな寝息が…。


「……寝たのか。」


ホッとして、離れようとすると、の手は俺の着物を掴んでいた。


「…………」


仕方なく、俺は再び座りなおした。
正直、あれほど動揺していたを一人にはできなかったし、
目が覚めるまでは傍についているつもりだった。

…しかし、あの叫び声といい、一体何があったのか。
火事も然したる勢いではなかった。蔵の隅が少し燃えていた程度だ。
は何故ここまで怯えたのか……。
あの時、振り返ったの表情は普通ではなかった。
何か、世程恐ろしいものを見たような、心の底から怯えたような表情だった。

俺の着物を掴んだまま眠っているを眺めていてふと気づいた。
この前の夕涼みの時、川で倒れたを立たせようと引いた左腕に
ひどい火傷のあとが……。火傷……。
あの時、はすぐに隠したが、ほんの少し見ただけでも
並みの傷ではないのが分かる程ひどい傷だった。

があの時必死に隠した傷と過去になにかあるのか…。
帰る家がないと言っていたのも気になる、火事で家族と生き別れたのか…?
いつも無邪気で明るいにそんな過去があるなど考えもしなかった。
何も知らず何もできない自分の無力さに苛立った。
未だ目を覚まさない、俺にはこいつの傷は癒せないのか…。



***



(…そんなものか。……まだ…足りぬ。)


(自分自身では無理だと言うのなら…こいつらを……お前のせいでこいつらは……)



「っ……やめて!…やめてーーー!!」


!」



「あ、わ、私?…泰衡様?」


気がつくと、泰衡様が目の前にいた。


「こ、ここは?」

「俺の部屋だ。」

「そ、そうですか…?」


どうして私、泰衡様の部屋に…?
というか、今まで何を…?
なぜか前後の記憶が曖昧だ。


「大丈夫か?」


ふいに泰衡様が言った。


「え?」

「うなされていた。」

「え…平気です?」


うなされていた?

私が?

気を失っていたのか…。

私が黙りこくっていると。


「……平気だというなら…そろそろ離してもらおうか?」


泰衡様がふっと着物を引っ張った。
見ると、何故か私は泰衡様の着物を握り締めていた。


「す!すみません!」


慌てて手を離すと、泰衡様はゆっくり口を開いた。


「お前覚えていないのか?」

「え?」

「……さっきのこと。何故うなされていたか。」

「………」


なんだろう、何かが思い出すのを拒んでいるようだ…。


「すみません…、あの、私…どうしたんですか?」


私が尋ねると、何故か泰衡様は話すのを躊躇っているように見えた。
不思議に思っていると、泰衡様は思い切ったように口を開いた。


「…蔵にいたのではないのか?」

「…蔵?」

「……そこで、…火が。」


泰衡様がそこまで言うと、チカッと頭に閃光が走ったように記憶が戻った。


「あ……。」


そして同時に、あの声が。


「っ!」


あの時取り乱したこと、泰衡様が来てくれたことも思い出したが、
再び聞こえたあの声に、一瞬目の前が真っ暗になった。
でも、その暗闇は別の黒に変わっていた。泰衡様が私を抱き締めたのだ。


「大丈夫だ。落ち着け。」


耳元で聞こえた泰衡様の声に、安堵し、あの声は聞こえなくなった。


「……何があったんだ?」


優しく尋ねてくれた泰衡様の声がとても嬉しかったが、
あの事を言うことはできなかった。
そのかわり、ずっと不安だったことを、思い切って尋ねた。


「あの……泰衡様?」

「なんだ?」

「………あの、里帰りをされている方が戻られたら
 …私は…もう、ここにはいられないんでしょうか?」

「なんのことだ?」

「その、私はその里帰りをされている方の代わりなので、
 その方が戻られたら、もう必要ないのかと……」

「…………」

「…あまりお役にもたてていませんし…。
 今日も泰衡様にご迷惑を…!」


私がそこまで言うと、泰衡様は続きを拒むように私を強く抱き締めた。


「そんなことはない、……お前はこれからもここにいろ。」

「…泰衡様。でも…」

「安心しろ、戻ってくる者をやめさせたりもしない。
 ……なにも、お前が心配することはない。」

「……ありがとうございます。…泰衡様。」


私が気にしていたこと、聞きたかった言葉。
すべて言ってくれた泰衡様に本当に感謝した、
本当に助けてもらってばかりだと、申し訳ない気持ちもいっぱいだが、
今は感謝の言葉を紡ぐので精一杯だった。


「ありがとうございます…。」


涙を零さないように必死に堪えた。






Back          Next



Top





2007.01.12