雪の花-十二

-青の声-






結局なにかと考えて、眠れぬまま朝を迎えた。
寝ずにいることなど珍しくもないが、やはりなにか不安があるからなのか
いつもより疲れを感じていた。はまだ帰っていない…。


「泰衡様。」

「銀か。」

「はい、おはようございます。」

「手配はすんだか?」

「はい、滞りなく。」

「父上は?」

「おいでにございます。」

「そうか…俺は父上に用がある。銀、あとは任せる。」

「はい、畏まりました。」


銀に指示をすると、俺は部屋を後にし、父上の所へ向かった。



***



「父上。」


俺が部屋を訪ねると父上は少し驚いた顔をした。


「どうした?朝早くに…。」

「少し聞きたいことが…。」


平静を装いながら切り出した。
のことは父上はまだ知らない。
なんとか大事にせず見つけたかった。


「昨日の雪の花のことですが…」

「うむ。なんだ。」

「あれを売りに来た商人のこと…詳しく聞きたいのですが。」

「なんだ、お前も気に入ったのか。」

「…ええ、まあ…。」


父上は嬉しそうな顔をしたが、俺は複雑な気持ちだった。
あの花がどういうものか、不審に思うようになっていたのか…。

だが、昨日のの様子を思い出す限り、
やはりこの花に何かあると思わずにはいられなかった。


「そうだな…。」


父上は少し考える素振りをしたが、やはり詳しいことはわからないらしい。
旅の商人ということで、店を構えているというわけでもなさそうだ。
結局たいした話は聞くことはできないまま父上の部屋を後にした。



***



一度部屋に戻ると腰を下ろし、またあの花を眺めながら考えた。
この花はなんなのか、今はどうしているのか、は何者なのか…。
今更ながら気付いたことだが、俺はのことを何も知らない。
何となくその場の勢いで引き取り、過去には傷があるようなので触れずにいた…。
だが、それが仇となっているのを感じていた。
もう少しいろいろ聞いていれば今この状態で思いつくこともあったかもしれない…と。

ため息をつき、顔を伏せたとき『バサッ』物音がした。
顔を上げると棚の書物が落ちていた。
何の気なしにそれを拾い上げ目を通すと、そこに気になる一文を見つけた。


『零れおつ雪の涙よ雪の花』


詠のようだ。だが、昨日から気になっていたことが詠まれていたので目についたのだろう。
その詠が書かれていたもの、それは茶吉尼天について調べていた書物だった。
茶吉尼天意外にも神や精霊について書かれている、その中にその詠があった。
その詠の前後に書かれていたのは 『雪花精』セッカセイ という雪の精霊のことだった。


(雪花精…)


少し気になって読んでみると、雪花精は冬に現れる精霊らしい。


(真っ白な長い髪と白い肌が特徴…。)


確かには色白だが、髪は決して長いとは言えないだろう。の髪は肩までだ。
無意識にが雪花精という精霊なのでは…と自分で考えていた。


(暑さに弱い…。)


否定したいと思っているのに合致する要素が多く、次第に信じそうになっていた。
そんな中、先の詠のあたりに差し掛かった。


『雪花精の女子は涙に特殊な力がある。
 花の咲かない野草に涙が触れると花が咲く。
 真美しき花、これを雪の花と言う。』


(…………)


まだ半信半疑だが、この花がここに書かれている『雪の花』かもしれない…。
と思うようになっていた。そしてのことも…もしや…と思っていた。
たが、もしこれが真実なら、昨日のの態度も頷ける気がした。
は雪の花を見て明らかに怯えた、これはすなわち涙を流させるために
いろいろされたということ、あの『昔の傷』だと言っていた左腕の傷も、
もしやそのために……。

考えが浮かぶと次第と不安が募ってきた。
もし、この仮定が当たっていたら今は非常に危険だと言うことになる。
そしておそらく、昨日の奴らに捕えられたということだ。


(…………)


憶測の域を出ない仮定であるし、まさかとは思うがの身の危険を思うと
じっとはしていられなかった。
俺は花の横に置いてあったの耳飾りを掴むと、屋敷を飛び出した。



***



「泰衡様。如何いたしました?」


町内で聞き込みに回っていた銀に出くわした。


「銀か、首尾はどうだ?」

「申し訳ありません。今のところは…。」


昨日買い出しで通った場所、店意外では、を見たと言うものもいないらしい。
昨夜もの友人達と散々聞き込んでいると言うので、どうも結果は変わらないようだ。
思うような情報がないことに苛立ちながら町や店を廻った。
例の花についても聞いてみたが、一般の町民などは知らないらしい。
そういえば、父上はかなりの額であの花を買ったようだ。
恐らく、貴族や権力者を主に売り付けているのだろう。
ならばそこをつき、また屋敷に売りに来させることはできないだろうか…。
だがを連れ去っているのだ、これ以上藤原と関わるのが得策ではない
ことぐらいはわかるだろう。頭もきれる連中のようだし。


「…………」


なにか良い策はないかと考えこんではいるが、やはり時間に余裕はない。
早くしなければが……。焦りに苛立ち集中できずにいると、



       



「………?」



何か透き通るような音が聞こえた。
なんとも形容しがたい音だ。



       



水音…の様な音だが聞いたことはない音。



       



何かを伝えたがっている様にも聞こえた。
不意に握り締めていたの耳飾りが光ったように見えた。
ゆっくり手を開くと、耳飾りは不思議な色に輝いていた。


「これは…。」


驚いているとまたあの音が…。



       



変わらないあの不思議な音。
たが今度はなぜかあの音の意味がわかった気がした。
俺は立ち上がるとどこかもかわからない目的地に向けて歩いていた。



***



「どうだ、様子は?」


男は部屋から出てきた部下に尋ねた。
部下は首を振ると


「ダメですね。あの女。まったく反応しません。」


と言い。血のついた鞭を男に見せた。


「フッ」


男は静かに笑うと出てきた部下と入れ代わりに部屋に入った。


「どうした?やけに強情だな。」


男は冷たい目でを見てそう言った。


「………」


はなにも言わない。


「気を失っているのか?」


額から流れている血を拭い、の顔を上げさせた。


「…………」


はただ何も言わず男の目を見返した。


「ほう…良い目をするようになったじゃないか…。
 だが、涙を流してくれないといつまでもこのままだぜ…それでも良いのか?」


男は繋がれたの腕の鎖をジャラジャラと鳴らした。


「…………」

「ふっ、まあ良い。またしばらくしたら恐怖に怯えるだろう……
 これからの時を思い、過去との決別に胸痛めて…。」


冷ややかな眼と声をに向け、そう言った。
その言葉にが微かに反応したのを見とめると、男は満足そうに笑い部屋を出た。



***



「……ここか、」


何故ここだと思ったのかはわからない。
だが、足が止まったのはここで、何故かここにがいるという確信があった。
そして、俺はこの巨大な屋敷に単身足を踏み入れた。



***



「頭!大変です!」


部下が慌てて部屋に駆け込んできた。


「どうした?何事だ?」

「それが…藤原の息子がここに…。」

「なんだと…?何故ここがわかった…。」


さすがに男は少し狼狽えたが、


「よかろう、俺が会う。お前達は下がっていろ、それとあの女を見張っておけ。」

「御意。」


そう言うと男はやってきた客人の下に参上した。



***



通されたのは広い部屋だった。
だが何か不穏な空気が漂っている気がする。
しばらく待たされたのち、姿を現したのは一人の若い男だった。


「これは藤原の総領でしたか。
 昨日は父君に我々の商品を買って頂きありがとうございました。」


にこやかな態度で現れた男たが、なぜか油断ならない感じがした。


「本日は何か?昨日の商品に不備でもございましたか?」

「いや、…父上があの花を大変気に入ってな。
 興味もあるので、あの花について何か知りたいと思ったのだが…。」


探るように俺がそう切り出すと、男はにこやかな態度は崩さずに口を開いた。


「それは有り難いことです。ですが、大変申し訳ないのですが、
 花についての事柄は企業秘密でお教えすることはできません。」


口調は柔らかだが、有無を言わせぬ雰囲気だった。


「そうか…ならば致し方あるまい。」


俺がそう言うと男は微かに安堵した。
そこですかさず、尋ねた。


「雪の精霊と言うのは…どういうものなんだ?」

「……なんのことでしょう?」


男は動揺し微かに声が揺れた。


「父上が言っていた、雪の精霊の涙がその花を咲かせた…と、
 どういうものかと思ってな…。」


俺が含むようにそう言い、男の目を見返した。
男は俺と目が合うと顔を伏せ、目を逸らした。


「……総領殿は何かご存じで?」

「そうだな……。」


男は明らかに動揺し始めている、ここは慎重に……。


「父上の言葉に興味がわいてな…少し調べた程度だ。
 雪花精という雪の精霊のこととか……。」


俺がそう言うと、男は一転し態度を変えた。


「……そこまで調べたとは、ではつまりあの娘……のことで御見えということですね…。」


冷たい声だった。闇の底から聞こえるような恐ろしい声だった。


「……わかっているなら話は早い、はどこだ?」


男の口からの名が出たことで、俺は確信し身構えた。


「フッ、貴方があの娘に肩入れしているとは聞いていたが、
 総領ともあろうものがあんな小娘のためにこんな処へ一人で来るとは愚かな……」


男はそう言って笑うと、指を鳴らして合図した。
すると案の定、野盗や浪盗の集団が姿を現した。


「ふん、」


俺は腰を降ろしたまま、周りの奴らを一瞥し、
再び正面に座る男を見据え口を開いた。


「で、先の答えはどうなんだ?はどこにいる?」


俺が再びそう問うと、男は少し驚いたようだが、馬鹿にしたように笑いだした。


「くくっ、はははは、総領殿は今のご自分の立場を分かっておられぬのですか?」

「質問に答えろ。」


俺は無視して男に問い掛けたが、
全く動じる様子のない俺に男は苛立ち周りの奴らに合図した。

すると野盗達は一斉に俺にかかってきた。
俺は静に着物に手を入れ、札を二枚取り出すと小声で術を唱えた。

術に反応し、札は式神へと姿を変え、野盗どもを一掃した。
男は怯み、野盗どもは怯え逃げ出した。


はどこだ?」


俺はもう一度その問いを口にし、男を見据えた。
男は悔しそうな顔をするとふっと大きなため息をつき、
観念したように両手を上げた。


「わかりました。お連れしましょう、あの娘の処に…。」


男はそう言うと俺に背を向け歩き始めた。
突然おとなしくなった男に不信感を覚え、
油断はできないと身構えた気持ちのまま、
俺はただ黙って男のあとをついていった。






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2007.07.11