□幸せであるために



 激動の時代を生き抜き、は平穏な日々を送っていた。
 つい最近まで、血生臭い争いが絶えなかった事が、今となっては信じられないほどだ。
 だが、嬉しさの半面、犠牲となった者達を想うと、それを手放しで喜ぶ事も出来ない。
 その中には、かつて花柳館で共に過ごした仲間もいる。
 そんな彼らの犠牲と引き換えに手に入れた幸せ。
 これで、本当に良かったのだろうかと、ふと気付くと自問自答している。





 不意に名前を呼ばれ、ははっとして声をかけてきた男を見る。


「何をぼんやりしているんだ?」


 男は怪訝そうに訊ねる。


「――すみません……」


 昔からの癖で、咄嗟に謝罪が口を突く。
 男もまた昔と変わらず、そんなを見つめながら眉を顰めた。
 この男の名前は庵。
 かつては京の島原にあった『花柳館』の二代目宗家で、とは師弟の関係であり、
 また、兄妹同然の間柄だった。

 だが、にとっての庵は、それ以上の存在だった。
 突き放すような態度を取りつつも、決してを手放そうとしなかった庵。
 自分の母親に想いを寄せていた事を知ってからも、気持ちは決して変わらなかった。
 そして、長い歳月をかけ、二人は結ばれた。
 もちろん、愛する庵と毎日が過ごせるのは嬉しい。
 それでも、心のどこかで不安を感じている。


「――、何か気になる事でもあるのか?」


 眉間の皺はそのままに、庵は再び訊ねる。
 は庵から視線を逸らそうと俯く。
 幸せを幸せと感じられない。
 そんな自分があまりにも惨めで、まともに庵を見つめられない。
 二人の間に、暫しの沈黙が流れる。
 は緊張のあまり、息をこくりと飲み込むと、静まり返った空間に小さく響いた。

 やがて、庵が一つ大きな溜め息を吐いた。


、言いたい事があるのなら言ってみろ。お前に隠し事をされるのは、あまり良い気分にはならない」

「すみませ……」

「いちいち謝るな。俺はお前に、言いたい事を言えと言っているだけだ」

「――はい……」


 説教じみた物言いに、はただ項垂れる。
 ここまで言われてしまっては、正直に口にするしかない。
 は小さく深呼吸すると、恐る恐る顔を上げた。


「――庵さん……。私は、庵さんと結ばれて幸せです。
 でも、幸せなのに、心から喜べないんです。――怖くて……不安で……。
 私の幸せの代価は、あまりにも大き過ぎました。
 それなのに、私だけが幸せであって良いのか……。私は、時々考えてしまうんです」


 が言い終えてからも、庵は表情一つ変えず彼女を見つめていた。
 昔に比べると、庵も表情が豊かになってきたが、それでも、時々何を考えているのか分からなくなる。
 庵を見つめ返しながら、の鼓動は速度を増してゆく。
 この場から、即座に飛び出してしまいたい衝動にすら駆られてしまった。


「――俺では、不満か?」


 予想だにしない言葉が庵の口から紡がれ、 は驚きを隠せず、口を小さく開けて目を見開いた。


、どうなんだ?」


 呆然としたままのに焦れたように、庵は返答を催促してくる。
 はゆっくりと首を振る。


「不満は、ないです……」

「――そうか」


 もう少し突き込まれるかと思ったが、庵は思いの他あっさりと引き下がった。


(庵さんの考える事は、やっぱりまだ分からないわ)


 そう思いながらが首を傾げていると、庵は「そんなに考えるな」と微苦笑を浮かべた。


「俺は別に、お前に普通に気になった事を訊いてみただけだ。
 考えてみると、にはずっと、辛い想いばかりさせてきた。
 男とか女とか関係なく、お前を『一人の人間』として、強く育ってほしいと思っていたからな。
 だが、そのせいで、お前は嫌な現実も散々見てしまった。
 は優しいから、人の死を客観的に捉える事が出来なかったのだろう。
 特に、身近な者の死は相当堪えていたというのも、俺自身も気付いていた。
 気付いていながら、俺は敢えて、お前に茨の道を進めさせてしまったのだ。
 今更何を言うのかと思われるだろうが、俺は、を哀しませてしまった事をすまないと思っている」


 庵はそこまで言うと、をそっと自分の下へと引き寄せてきた。
 温かくて、どこか懐かしさを感じさせる。
 もしかしたら、自分が物心付く前にも、こうして抱き締めてくれた事があったのかも知れないと、
 はふと思った。を包み込みながら、庵は続けた。


「これからはもう、苦しむ必要はない。亡くなった者達も、を決して恨んではいない。
 ――むしろ、俺の方が恨まれて当然だからな。
 だが、どうしようもなく辛くなった時は、いつでもお前を抱き締めてやろう。
 俺も、お前とこうしていると、生きていて良かったと心から想えるから……」


 庵の言葉一つ一つが、緩やかに流れる川のように胸に注がれてゆく。
 幸せを幸せと感じられなかった自分。
 それはきっと、庵がどこか手の届かない場所へと行ってしまうのではないかという、
 不安の表れだったのかも知れない。
 だが、庵の本心を知り、胸につかえていた不安は少しずつ消えていた。
 はそっと、庵の背中に腕を回した。
 庵をもっと近くに感じようと、はその腕に力を籠めた。


「庵さん、私はずっと、あなたの側にいてもいいんですよね?」


 の問いに、庵は躊躇う事なく「当たり前だ」と答えた。


「どんな事があろうとも、お前はずっと、俺から離れるな。――いや。離れる事は決して許さない。
 亡くなった者達に報いるためにも、俺とお前は、もっと幸せになろう」

「はい」


 は微笑みながら、庵の温かな胸に顔を埋めた。








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「月下に舞う花びら」様のクリスマス企画でフリー配布されていました。
恋華と花柳、2つとも頂いてしまいました!(少しは遠慮を;汗)

こちらは花柳、庵さん夢です!
花柳は未プレイなんでよくわからないのですが(こら!)
庵さんかっこいいですねvちょっと偉そうな口調とかかっこいいです!
庵さんも何時か書いてみたいかも…なんて思いましたv

冬佳様!ありがとうございました!


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