□大切な想い



 桜の時季も過ぎ去り、季節は徐々に夏へと近付いていた。
 天気にも恵まれ、毎日、汗ばむほどである。
 そんな中、は独り、縁側に腰かけながらぼんやりと空を仰いでいる。

 透き通った空には、綿を彷彿させる雲がふわふわと浮かび、
 その中を、数羽の雀が可愛らしく囀りながら飛び交っている。
 一見、平和な光景に思えるが、一歩外に出れば、血生臭い争いが絶えず起こっている。
 もまた、その場に出くわしてしまえば刀を抜かざるを得ない。
 大人しそうな外見からは想像も出来ないが、も一人の新選組隊士なのであるから。

 しかし、刀は重い。
 そして何より、人を斬るたびに命の重みを感じ、時折、抜刀する事に嫌気すら覚える。

 人は斬りたくない。
 斬りたくはないが、斬らねば自分が斬られる。
 が刀を振るうのは、ただ、生きるためである。


(でも……本当は……)


 は、空から視線を自らの両手に落とす。
 同じ女性隊士である鈴花の手もそうだが、さすがに長い事刀を握り続けていただけに、
 あちこちに胼胝(たこ)が出来ている。
 これを見ていると、やはり、もう、普通の『女』には戻れないのだと改めて思い知らされる。


(斎藤さんもきっと、もっと女性らしい女性が好きだろうし……)


 自分が一番意識している三番隊組長である斎藤一の端正な顔立ちを思い浮かべながら、
 は深い溜め息を吐いた。
 と、その時であった。


さん」


 背中越しに自分の名を呼ばれた。
 低くて、どこか安心感を与えるような声音。
 声の主は誰か、は確認するまでもなくすぐに分かったが、
 相手を見ないのも失礼だと思い、首をもたげながら振り返る。


「どうした? 随分と浮かない顔をしているようだが」

「――肇さん……」


 相手の名を口にしながら、は、やはり、と思った。
 に声をかけてきたのは、つい最近、新選組に入隊したばかりの相馬肇。
 相馬は元々、島原にある『花柳館』という道場の食客であった。
 その頃からずっと、自分の『主』となるべき人物を探し求め、
 ついに、局長の近藤と副長の土方と出逢ったとの事だった。

 相馬が新選組に入隊するまでに、三人の間にどんなやり取りがあったのかはは知らない。
 しかし、入隊当初の相馬の晴れやかな表情を見た限り、決して悪い経緯があったわけではなさそうだった。
 寧ろ、相馬は近藤と土方を、常に羨望の眼差しで見つめている。
 近藤達を、心から尊敬しているのだろう。
 の心にも、それはよく伝わっていた。


「君は最近、浮かない顔をしている事が多いな」


 の隣に腰を下ろしながら、相馬が言った。


さんの物思いの原因は分かる気がするけどね」

「――そうですか……」


 相馬の言葉に、はあまり驚かない。
 相馬はの気持ちを知っている。
 誰にも言えなかった、苦しくて辛い想い。
 だが、何故か相馬にだけはすんなりと話せた。
 口が堅いというのも理由の一つだが、何より、相馬にはを安心させてくれる温かさを持ち合わせている。
 相馬のさり気ない助言にも、は幾度救われたか知れない。

 だからと言って、相馬に恋愛感情を抱いていないのも自覚している。
 この気持ちは、明らかに斎藤に対する想いとは違うのだから。
 それに、恋をしていたら、相馬を軽々しく『肇さん』などと呼べるはずもない。
 その証拠に、斎藤の事は未だに『斎藤さん』なのである。


「それにしても、良い天気だな」


 空を仰ぎながら、相馬はまるで独り言のように呟く。


「空はこんなに澄み切っているのに、さんの心の中は、重苦しい雲に覆われているのか……。
 そんなさんの苦しみ、一体、誰が拭い去ってくれるのか……」


 意味深な言葉に、の鼓動は速度を増してゆく。
 の願い。
 それは、斎藤の側にずっとい続ける事。
 しかし、それは叶わぬ願いであるのも分かっている。


(私は、どうしたら……)


 表情一つ変えず空を眺めている相馬の隣で、は心の中で自問自答するも、簡単に答えは導き出せない。
 いや。怖くて答えが出せないのが本心である。


「あ……」


 相馬に話しかけようとした時だった。


「あれ? 相馬にちゃん!」


 二人の姿を見付け、庭先に現れたのは、相馬と同時期に入隊した野村利三郎であった。


「何だ? 二人で日向ぼっこでもしてたのか?」


 二人の元へ近付くなり、無邪気に訊ねてくる野村に、から自然と笑顔が零れる。


「野村……お前、一体何しに来た?」


 笑顔のとは対照的に、相馬は野村の問いには答えず、それどころか、眉間に皺を寄せながら訊ね返す。
 野村は「酷いなあ」と口では言いながらも、全く気分を害した様子はないようで、寧ろ満面の笑みを浮かべていた。


「俺は、ずっと相馬を探してたんだぜ。
 そのために、近藤さんや土方さんの部屋にも行ったけど、二人して、ここにはいない、って言うしさ。
 で、あちこちうろうろしていたら、ちゃんと縁側に座っている相馬を見付けたってわけだ」

「――お前……どこまで俺に付き纏う気だ……」


 相馬は深い溜め息を吐くと、うんざりとばかりに額に手を当てる。


「まあ、いいじゃないか! 俺とお前は一心同体! 常に離れられない運命ってわけさ!」


 野村はそう言うと、項垂れている相馬の肩を何度も叩く。


「あの、野村さん」


 二人の間に割って入るのは気が引けると思いつつ、は声をかけた。


「ん? 何だい?」

「えっと、今、肇さんを探していた、と言っていましたけど、何か、急なご用でもあったんですか?」

「え? ああ、いやいや。急な用事ってわけじゃないんだ。
 ただ、今日は俺も相馬も非番だから、たまには遊びに行こうと思ってさ。
 あ! そう言えば、ちゃんも非番じゃなかった?」

「え、ええ」

「だったら、ちゃんも一緒に来なよ。いや。寧ろ、ちゃんがいた方がいい!」


 野村はそう言うと、「ほらほら!」と二人を促した。


「あの……どちらへ……?」


 野村の異常なほどの張り切りように、に一抹の不安が過ぎる。
 だが、そんなの気持ちを知ってか知らずか、野村は「大丈夫!」とにっこり笑む。


「ま、俺を信じて着いて来なさい!」


 屯所を出てから、どれほど歩いたであろうか。
 野村を先頭に、その後ろを相馬とが着いて行く。


「さ、着いたぜ」


 野村が立ち止まった場所は、何の変哲もない甘味茶屋であった。


(お団子でも食べたかったのかしら……?)


 店を見つめながら、は首を傾げた。
 と同時に、甘味の大好きな鈴花の顔が頭に浮かび、鈴花さんも誘ってあげたかった、と思った。


「ほら、二人とも入った入った!」


 野村に、半ば強引に押し込められるような格好で、相馬とは店内へと足を踏み入れる。
 中に入ると、砂糖醤油の香ばしくも甘い匂いが、の鼻腔を擽る。
 特にお腹は空いていなかったはずだが、その匂いを嗅いでいると急に空腹感を覚えてしまうのだから、
 我ながら、胃袋は現金に出来ているものだ、とは微苦笑を浮かべた。
 さて、二人をここまで連れて来た野村であるが、店の一番奥に座っている少女の側へ近寄っている。


(あれ……?)


 その少女に、は何となく見覚えがあった。
 肩にかかる程度の栗色の髪は下ろされており、その左側に、藍色の紐で髪の一部を縛っている。
 は記憶を辿ってみる。
 一体、いつ、どこで出逢ったのであろうか。
 があれこれ考えを巡らせていたら、少女の方から先に「さん、ですか?」と声をかけてきた。
 は瞬きも忘れるほどに少女を見つめながら、こくりと頷く。


「ああ、やっぱり!」


 少女はぱっと花を咲かせたように笑うと、立ち上がっての両手を包み込んだ。


「お久し振りです。私、志月倫です。憶えていらっしゃいますか?」


 少女が名乗ってくれたお陰で、はやっとで想い出した。
 確か、前に斎藤と京の町を歩いていた時、この少女ともう一人、咲彦とか言う少年と出逢ったのだった。


(私ってば、何て失礼な……)


 そう思いつつ、「はい。憶えています」と答えていた。
 忘れていた、などとは口が裂けても言えない。


「ああ。まさか、またさんに逢えるとは思ってもみませんでした。
 鈴花さんは、よく遊びに来て下さいますけど、さんは、いらっしゃらないから……。
 まあ、場所が場所だから仕方がないのでしょうけど」


 そう言いながら、倫は苦笑する。


「何だ、ちゃんと倫ちゃんって知り合いだったの?」


 二人の様子を見ていた野村が、意外そうに口にした。
 相馬もわずかに驚いた表情をしている。
 そんな二人に対し、倫は「ええ」とにっこり答えた。


「でも、今言った通り、さんと逢うのは今日で二度目ですけどね」

「はあ……。世間って意外と狭いんだなあ」

「全くだな」


 倫の言葉に、二人の男は何度も頷く。


「あの、ところで」


 倫は野村に向かって訊ねてきた。


「野村さん、私に何かご用があると伺っていたんですけど……。一体、どんな……?」

「ああ、そうだったそうだった!」


 野村は、開いた左手に拳を作った右手を、判を押すように打った。


「実はさ、相馬の奴が、倫ちゃんに逢いたがっていたから、ちょっとぐらい逢わせてあげようと思ったんだよ」


 この言葉に、相馬とは同時に目を見開く。


「野村! 俺はそんなこ……」

「ああ、ああ! 相馬は素直じゃないなあ!」


 相馬が言いかけた言葉を野村は素早く遮ると、倫に向かって満面の笑みを見せた。


「そんなわけだから倫ちゃん。今日一日、こいつに付き合ってやってよ」


 野村はそう言うと、の着物の裾を軽く引っ張った。


「さ、ちゃん、俺達は邪魔にならないように、とっとと退散しようか?」

「え? あ、はあ……」


 未だ状況が飲み込めないは呆然としている。
 そんなの背を、野村は軽く押した。
 だが、一番困惑しているのは倫に違いない。
 一体何なの? と言わんばかりに、店を出て行く二人を訝しげに見つめていた。


 店を出てから、は野村に連れられて川の土手まで来ていた。
 透明な川面はさらさらと音を立てながらゆっくりと流れ、時折、陽を浴びて光を反射させている。


「綺麗ですね」


 は思ったままの感想を述べた。


「うん」


 野村もそれに頷くも、先ほどとは打って変わり、表情がわずかに曇っているように感じる。


「どうか、なさったのですか?」


 いつもと様子が違うことが心配になり、は野村に訊ねてみる。
 野村は川を見つめたまま、「ここは」と言った。


「俺と相馬がまだ『花柳館』にいた頃に、倫ちゃんと三人で一緒に遊びに来た場所なんだよ。
 あの頃は、先の事なんて全く考えてなかった。今考えると、本当に能天気だったなあ、と俺自身も呆れてしまうよ。
 でも、あの時は本当に幸せだった。みんなで平和について語り合い、どんな事があっても、
 みんなの気持ちが離れる事はないだろう、と。
 でも、そんなのはただの幻想だったな。――結局、みんなそれぞれ、違う道を進んでしまった。
 そして……俺も相馬も……。
 相馬の奴は、近藤さんと土方さんを心から敬愛している。けど、倫ちゃんの事も、ずっと忘れられずにいるんだ。
 あいつは真面目だから、どんなに倫ちゃんが恋しくても、絶対に自分では逢いに行かない。
 だから、今回はちょっと、俺も強引な手段を取ってみたんだけど……」


 そこまで言うと、野村はその場にしゃがみ込んだ。
 自らの首の後ろに手を回し、哀しげな笑みを漏らす。


「――本当は、俺が一番、倫ちゃんに逢いたいと思っていた。
 でも……倫ちゃんが相馬を好きだってのは、俺も何となく分かっていたから……。
 好きな子に振り向いて貰えないのは辛いけど……でも、相馬を傷付ける事もしたくない……。だから……」


 野村の言葉に、は胸が締め付けられるように苦しくなった。
 どんなに好きでも届かない想い。
 親友を想うあまり、自分を後回しにしてしまう不器用さ。


(野村さんは、優し過ぎる……)


 は思った。
 この人は、自分とどこか似ている、とも。

 は野村の隣にしゃがむと、遠慮がちに顔を覗き込んだ。
 泣いているような、そんな気がしたのだ。
 だが、幸いにも野村の頬には涙の痕らしきものはない。
 それを確認したは、ほっと胸を撫で下ろした。


「野村さん」


 は野村を見つめながら言った。


「あなたにも、いつか、素敵な人が現れますよ」


 気休めにしかならない。
 もそれは分かっていたが、言わずにいられなかった。
 野村はわずかに目を見開いたが、やがて、微かに笑みを取り戻した。


「ありがとう」


 感謝を述べると、野村はの頭を優しく撫でる。


「俺も、ちゃんが幸せになれるよう、ずっと祈っているよ」


 そう言うと、野村は急に立ち上がった。


「さてと!そろそろ気分を切り替えないとな!ちゃん、腹減ってない?」

「え、あ……そう言えば……」


 はお腹を押さえた。
 せっかく甘味茶屋に入ったのに、二人は何も口にせず出て来てしまったのだ。


「よし!それじゃあ、何か食いに行こうか?今日は特別、俺が奢ってやるよ!」

「――いいんですか?」


 おずおずと訊ねるに、野村は自信たっぷりに「もちろん!」と答えた。


「今日は、ちゃんに散々付き合わせてしまったからね。そのお礼も兼ねて。
 あ、でも、あんまり高いのは駄目だぜ? 俺、そんなに金持ってないからさ」


 野村の最後に付け足された言葉に、は思わずクスリと笑った。


(やっぱり、野村さんは元気な姿が一番似合っている)


 意気揚々と歩き出した野村の背を見つめながら、は思った。








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「月下に舞う花びら」様、冬佳様より頂きました!
私が花柳で好きな相馬肇さん&野村さんのお話です!

当サイト夢主人公も登場していますが、内容的には野村さんの悲恋…?
いや、めちゃくちゃ切なかったですね。もう泣きますよ(号泣)
野村さんが素敵過ぎて!切な過ぎて!!

私は肇さん派のはずなのに、何か野村さんにかなり揺らぎましたね。
この後は主人公には是非とも野村さんのために死力尽くしてもらいたいものです!(笑)

冬佳様!ステキな肇さん&野村さんのお話ありがとうございました!


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