-傘をたたんで視界が広がったら-



今日はあいにくのお天気で空は雲って雨が降っています。
雨は自然の恵みで、静かな自然の音色で、ひんやりとした空気も、
暑さに弱い私にとっては気持ちの良いもので、私は雨も嫌いではありません。
むしろ好きです。

洗濯物がたくさんある時や突然の雨には困ってしまいますが、優しい雨が私は好きです。
だって雨がやんだ時、傘をたたんだ時に……



***



今日は届け物を届けるお仕事で、朝から屋敷を出ました。
今日は朝から雨が降っていたので、ちゃんと傘を持っています。

以前は出かけた後に雨が降って、泰衡様にご迷惑をかけてしまいましたが、今日は大丈夫です!

荷物は濡れたりしないように、空さんと琴さんがしっかり包んでくれましたし準備万端で出かけました。
幸い雨も大したことはなく、むしろ気持ちが良い程です。


「零れる雫、天からの涙…。」


私はまた歌を歌いながら歩きました。
雨の日は何となくこの歌が口をつくのです。
雨が涙に見えて、誰かが泣いているように感じるから…。

悲しいと感じるのは心があれば当たり前、涙を流すのは優しいから、どちらも我慢する必要などないこと。
それでも…。

ふと頭に浮かんだのは主君であるあの方の顔…。
いつも凛とした厳しい表情をされている泰衡様。
それでもそんな表情の中に何処か寂しさが見える気がするんです。

人の上に立つものとして、弱みや隙を見せてはいけないからなんでしょうか…。
本当はもっとみんなとお話したり、遊んだりしたいんじゃないでしょうか…。


「…………」


泰衡様は私よりもずっと大人で、お忙しい身ですから、
遊んだりする暇はないかもしれませんが、もう少し……何か…。


「…………」


何か適切な言葉は浮かばなくて、私は悩んでしまいました。
ただ、泰衡様は誰とお話をされている時も難しい顔をしています。
一番良く話される銀さんでもです。
銀さんだけは、銀さんが楽しそうなので、泰衡様も決して不機嫌なわけではないというのはわかるんですけど…。
ぽつぽつと傘にあたる雨音を聞きながら、私はそんなことを考えていました。

私は泰衡様のご好意でお屋敷に勤めさせて頂いている身で、
私を雇うことも、直接決定されたのは泰衡様です。

だからでしょうか、私は恐らく空さんや琴さんや他の方と比べても、
泰衡様とお話をする機会は決して少なくありません。

だから余計に感じます。泰衡様が本当は誰より優しいことが…。
泰衡様は私にとって恩人です。今の平穏な毎日は泰衡様のお陰。
いつもなにかと気に掛けてくださる泰衡様はとても優しくて、とても頼りになる、とても尊敬している主人です。

だから私にできることで何か、泰衡様のお心を少しでも晴らすことができたら…。
そんな風にいつも思いますが、中々難しいものです。

ふーっとため息が一つ、零れ落ち、ふと顔を上げると雨は止んでいました。
空はまだまだ曇り空ですが、涙は止まったみたいです。
雲の隙間からほんの少し青空が見えました。


「あ…」


ほんの少し顔を覗かせ、青空はまた雲に隠れてしまいました。


「泰衡様に…似ていますね…。」


ぽつりと呟き、自分の言葉に自分で笑ってしまいそうでした。
曇りの日の青空。目にする機会は少ないけれど、ほんの少しでもとても嬉しくて、
自然と笑みが零れるようなところが、泰衡様のさり気ない優しさに似ているかな?
なんて思って。

ふわりと吹いた風が雨雲を誘い、空に少しずつ青空が戻って来たのを見て、私は傘を閉じました。
狭かった視界が広がると、思ったよりずっと青空が多かったことに嬉しくなりました。

雨は困ることも多いですが、この瞬間が嬉しくて、
雨がやんだ時、傘をたたんだ時に広がる綺麗な空が微笑んでくれるこの瞬間が…。




「!泰衡様!どうされたんですか?」


思いがけず名を呼ばれて振り向くと、立っていたのは泰衡様と銀さん。
泰衡様はいつもと変わらぬご様子ですが、銀さんはにっこり笑ってくれました。


「ご苦労さまです、さん。
 私たちも少し出なければいけない用事がありまして、貴方をお見かけしたものですから。」

「そうなんですか。」

「折角ですからご一緒しますか?」


銀さんはにこにこと笑顔でそう言うと私の傍へ寄り、
私が持っていた手荷物を受け取りました。


「え、銀さん?」

「か弱い貴方に荷を持たせるのは忍びありません。どうか私に任せて下さいませんか?」

「でも…;」


銀さんに荷物を持たせるのは躊躇われましたが、
銀さんは一向に退く様子はなく、困っていた私に泰衡様が、


「構わん、持ってもらえ。」


と言ったので、結局銀さんに荷物を持ってもらい、
お二人に同行することになりました。



***



「すみません、銀さん…。」

「いえ良いんですよ、貴方のお役に立てるのでしたら幸いです。」


やっぱり申し訳なくて、私が頭を下げると、銀さんはそう言って笑って下さいました。
そんな銀さんの笑顔はいつも晴れた空のようだとも感じました。
銀さんの笑顔にほっとして私も笑うと、銀さんは少し泰衡様に視線を移し、
話題を変えるように話し始めました。


さん先程、何か唄っておられましたか?」

「…え!」

「微かだったのですが、泰衡様がお気付きに。
 私も途中からでしたが、鈴の音ように美しい声に思わず聞き惚れました。」

「……///

「泰衡様はその唄がさんのものだとご存じだったようで…
 次は是非私にもお聞かせ願えますか?」

「………あ、あの///


思いがけない銀さんの言葉に私は慌てました。
まさか聞かれていたなんて夢にも思っていませんでしたし…。

すっかり困った私が返事に詰まっていると、泰衡様が銀さんを呼びました。
ただ呼んだだけだったので、私に対して助け船を出してくださったのは明らかでした。
すみません、泰衡様…。

銀さんはふっと微笑み振り返ると、


「雨はお好きですか?」


とまた話を変えました。


「え?」

「私は好きですよ。
 疎ましく思う時もありますが、雨上がりの景色は美しいので心が洗われます。」


私と似たような答えを言った銀さんに嬉しくなって、私は大きく頷くと答えました。


「私も、雨が上がった時が好きです。傘をたたんで広がった視界に、
 嬉しい気持ちになるものがたくさんありますから!」

「そうですよね。」

「…………」


銀さんは笑ってくれて、泰衡様も何も仰りませんが少し振り向いて下さいました。


「先程も、傘をたたで顔を上げた時、泰衡様が呼んで下さって嬉しかったです。
 泰衡様と銀さんのお姿を最初に見ることができて。」


雨が止んで、広がった視界に最初に映った人物が、
ずっと考えていた方であったことが嬉しくて、安心しました。

私がそんな風に言うと、銀さんは一層笑顔になって、


「光栄です。」


と言い、泰衡様はふっと私から視線を外しました。
少し不安になりましたが、銀さんが大丈夫だと言うように合図をして下さったので一先ず安心しました。

銀さんのお話は聞きましたが、雨上がり、泰衡様はどのようにお思いなのか、
いつかお話を聞いてみたいものです。

すっかり晴れて雲もなくなった空を見て、私はそんなことを思いました。




戻る



2007.08.13