「はあ……退屈だねぇ…。」


特に何もない、平和な雲が浮かんでいる空を眺めながら、
川辺に寝転がっている黒い着物の男はため息とともにそう呟いた。

男の名前は「大石鍬次郎」新選組隊士の一人…。





-太陽と雲と雨-




「退屈だねぇ…。」


男、大石さんは再度呟いた。

今日は巡察もなく非番の日。特に予定もなく、やることもない。
町をぶらついてはみたが、興味のそそられるものもなかったので現在に至る。

だが今も、別に一休みしているとかそういうわけでもない。
ただやることがないし、町をぶらつくのにも飽きたからこうしているだけだった。

せっかくの非番なのに…と思うかもしれないが、
大石さんには非番の日は退屈なだけだった。
もちろん巡察があっても、必ずしも戦いになるわけではないのだが、
刺激もなく何もない退屈な非番よりはマシらしい。

ぶつぶつと不平不満を盛らしていたが、それにも飽き、仕方なく目を閉じた。
今のうちに休んで体力を回復させるのも手かと思うことにして。


(別に疲れているわけじゃないけどねぇ…。)


ふっと息をついて気を緩める。
気を緩めたと言っても抜くことはない。
もし襲ってくる奴がいたら喜んで相手になる気でいた。

しばらく風の音を聞きながら気を静めていたが、
ふいに人の気配が近づいてきた気がした。わかりにくい気配。

手だれかと思わず胸が踊ったが…、


「…大石さん?」


聞こえてきた声に張り詰めた気はあっさり消えた。


「…………何か用?」


ゆっくり目を開けると、視界に入ったのは、
ふわっと揺れた橙の髪とあの締まりのない顔…。


「あ、いえ…大丈夫ですか?」

「……何が?」

「あ…その;具合が悪いのかと……。」

「…………」


どうやらは大石さんが倒れているのかと勘違いしたらしい。
大石さんは呆れたようにため息をついてじっとの顔を見つめた。


「?何ですか?」


見つめられ、は首を傾げたが、
大石さんは「別に」と答えてまた目を閉じた。


「アンタどうしょうもない奴だねぇ…。」

「へ?」

「そんなほいほい近づくなんて危ないって言ってんのさ。」

「は?」

「……だから…」


要領の得ないの返事に苛立ち大石さんは眉を顰め、起き上がった。


「気配を消して近づいてきたら、敵かと思うだろ…
 間違って斬っても責任もたないからね…俺は…。」


不機嫌そうに、憮然と言った大石さんの言葉に、
は一瞬驚いたように目を見開いたが、苦笑いになると、


「いえ…その、眠っていらしたなら起こしてはいけないかと…。」


と言った。


「……どの道声をかけるなら同じだろ…。」

「……そ、それもそうですね…;」


呆れる大石さんには耐えず苦笑いだったが、
大石さんは不思議と嬉しそうな雰囲気でもあるように感じた。


「……何笑ってんの?」

「え?」

「……馬鹿にされて悔しくないの?」

「……」


何となく…の雰囲気に違和感を感じる大石さんはそう口にしたが、
は少し驚いたような顔をしただけで、怒ることも悔しがることもしなかった。
そう、驚いたような顔の後はいつものように笑っただけ。


「……だから、何で笑うのさ…。」


のその反応が気に食わないと大石さんはを睨んだが、
は変わらず笑顔のまま答えた。


「大石さんが心配して下さったのかと思って。」

「……はあ?」

「戦いに身を置く人はやはり普段から警戒しているんですよね。
 だから私も気をつけないといけないこと、注意して下さったんでしょ?」

「……別に心配なんかしてないよ。 ……注意だって?
 ……そんなこともわからないなんて馬鹿だと思っただけなんだけどねぇ…。」

「はい、気を付けます。」

「……」


必死に皮肉を込めたつもりなのに欠けらも伝わっていないことに、
大石さんは苛立ちを覚えつつも頭を抱えた。


(……こいつの頭の中はどうなってるんだろうねぇ…。)


ちらりとを見ると変わらない笑顔。
もう反論する気も失せる。


「……どうでも良いけど…用がないならどっか行って欲しいんだけどねぇ…?」


不機嫌な気分のまま、大石さんはジロリとを睨み付けてそう言った。


「…あ、すみませんお邪魔して…。」

「まったくだねぇ…。」


大石さんの言葉に、はペコッと頭を下げると慌ててその場を去っていった。
途中、去っていった後ろ姿を眺めているとは振り返り、
大石さんと目が合うとにこっと笑って小さく会釈した。


「…………」


そんなの様子に大石さんはふいっとつれなく顔を背けたが、
正直な所、波打った心臓を誤魔化すような気持ちもあったかもしれない。


「…………」


大石さんは再度体を倒し寝転がった。


(何考えてんだろうねぇ…あの女…。)


晴れていたはずの空はどんよりと雲が溢れていた。
まるでモヤモヤとしている大石さんの心を映しているかのように…。
のことを考えるといつも心に雲がかかる。
太陽を隠す雲のように、まるで本心を隠すかのように。


(…………)


だから普段は考えないようにしている、
否、そんなだから心の端にでも追いやっている存在だと言うのに…
本人に合ってしまうと嫌でも考えてしまう。


(…………はぁ)


柄にもなく、大石さんはため息をついた。

正直、彼女…は苦手な部類だ。
あのおっとりした雰囲気も、皆に好かれるあの笑顔も、
それが大石さんには気に食わないものだった。

優れた剣技に一時は興味を持ったこともあったが、それも一時のこと。
の剣には殺気が全くない。

それどころか人を斬った後、顔には出ださないものの後悔しているような、
傷ついたような雰囲気を感じるのことが、
人を斬ることが何より楽しみである大石さんには理解できないでいた。
戦いに対する覚悟はあっても、人を斬ることはよしとしないと言う事なのか?


(…………甘いねぇ)


そんなこと無理に決まっているのに…。
ふっと馬鹿にしたよう息を付いたが、前に見た泣き顔を思い出すと微かに胸が痛んだ。
何故全く関係のない奴のためにが泣くのか、それはわからないが、
あの涙に浅ましい気持ちは全くない。何せ自分のためにも泣いてくれたのだから…。


(…………)


ふつふつと湧いてくる気持ち。
のことなど考えたくないと思っているのに頭から離れないのだ…。


「…………はぁ」


大石さんはもう一度ため息をついた。


「何であんな奴のために俺がため息なんかつかなきゃいけないのかねぇ…。」


ムクリと起き上がり、ボソリと一言。
口を突くのは否定ばかりだが…。



ポツ



「!」


ふと頭に水滴があたった。
どうやら降りだしたらしい。

ポツポツとどんよりとした空から次々と水滴が落ちてきた。


「…………」


このままではびしょぬれになるのは必至。
早く帰るべきかと思ったが、どうも動く気になれない大石さんは、
座り込んだまま暗い空を、雨を眺めていた。
この雨が気持ちの悪いこの気持ちを流してくれるならそれでも良いと……。



***



ザアァァ



すっかりひどくなった雨。
降りだした頃から座り込んでいる大石さんはすっかりずぶ濡れになっていた。

着物もぐっしょりと濡れて重い。


(……何やってんだろうねぇ…俺は……)


こんな所にいる意味もないし、戻ろうと思いつつも何故か動けず、
大石さんは複雑な心境の中自嘲気味に笑った。


「……?」


とその時ふいに雨が止んだ気がした。
否、止んではいない。顔を上げたが目の前は雨が降っている。
ただ…自分の体には当たっていない…?

不思議に思いながら大石さんが後ろを振り返ると、
散々自分を悩ませていた少女が傘を持って立っていた。
自分に傘を差し掛けて。


「…………何やってんの?」

「……そ、それは私の台詞です!
 大石さん何してるんですか!こんなに雨が降っているのに!」


の顔を見て、大石さんが素っ頓狂な質問をするとは驚き呆れ、
少し非難するような口調でそう言った。


「……別に…俺が何をしようとアンタに関係は…」

「風邪をひいたら大変ですよ?」


大石さんは相変わらず素っ気ない態度のままだが、
で大石さんに怯む事もなく話し掛け、
手ぬぐいを取出し大石さんに差し出した。


「…………いらないよ…そんな…」

「ダメです、そんなずぶ濡れで何を言ってるんですか!」

「わっ!?」


そして大石さんが相手にせず顔を背けたので、
ガシガシと無理矢理頭を拭いた。


「風邪を引いたらいろいろ大変じゃないですか、
 それに皆さんにも迷惑がかかりますよ。」

「…………わかったよ。」


意外に強引なの行動に折れ、
大石さんは呆れつつも観念し、手ぬぐいを受け取った。


「…アンタ何で……何で戻ってきたのさ?」

「え?」


しぶしぶから手ぬぐいを受け取り、
濡れた着物や髪を拭きながら大石さんは尋ねた。


「帰ったんじゃなかったのか?」


さっきあんなことを言って追い返したのに、
戻ってきているを心底不思議そうな顔で見ながら。


「帰りましたよ。」


は少し考えつつも、きっぱりとそう答え、続けた。


「でも、大石さん傘をお持ちじゃなかったみたいだったので…」

「…だったら何?だからってアンタがわざわざ持ってくる必要はないだろ…。」

「はぁ…それは…そうですけど…。」


大石さんの問い掛けには苦笑い。


「……はぁ…アンタ本当に馬鹿だねぇ…。」


そんなに大石さんはもう何度目かのため息をつき、
手ぬぐいをに押しつけ、代わりに傘を受け取った。


「礼は言わないからね、アンタが勝手にやったことなんだからねぇ…。」


そしてさっさと歩きだし、振り返らずにポツリとそう言った。


「…はい。」


はふっと小さな笑いとともにそう返事をすると、
少し距離をおいたまま大石さんの後ろを歩きだした。

別に一緒に帰る気はない。

と拒否している大石さんの気持ちを汲んでいるからなのか、
一定の距離を保ったまま、特に話し掛けることもなく。
だから端から見れば二人が連れだとは誰も思わないだろう。

だが、大石さんはが着いてきていることを気にしながら歩いていた。
もちろん無意識に。
振り返ることはしないが、気配を感じるのはお手のものだから。


「…………」

「…………」


お互い口を開くことはないが、それが返ってほっとしていた。
気に食わない、気に入らない奴だと思っているはずなのに、
この沈黙が心地よく感じている気がするのは何故か…。

傘にポツリとあたる雨音が心に優しく響くから…。

複雑な心境、認めることは決してしないが、
今この時は…一緒にいると思ってもいいかと…
大石さんは少しだけ、の存在を認めつつあった。

微かに感じている好意に関しては認める気はないが…
今が心地よいことだけは、認めてもいいと…。


(のんびりしたこの空気を心地よく思うなんて正直重傷だけどねぇ…。)


殺伐の中生きてきて、その中にだけ快楽を見出だしていたのに、
自分とは相反するこの少女にそれを感じるなんて…。

ふぅ、と大石さんはまたため息をもらした。
柄にもなく感傷的になっている自分に呆れて。



空は雨。

だが、雨もいずれは止んで雲も晴れる。

翳った心にもいつか晴れやかな空が戻る。

それを思わせるのは太陽の光と暖かさ。

たとえ暗闇を生きたものでも、太陽に恋焦がれるのは必然。

傷つき翳った心、いつか光の下で癒されますように…。

いつか光の下で笑うことができますように…。




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2007.12.05