本当に気になったのはあの時からか…





-月のしずく-




ある夜、巡察から戻ってきた深夜。
微かに聞こえたのは、すすり泣くような嗚咽。

本当に微かに耳に届いたものだった。
幽霊か…などと思う程の…。


(調べるべきか……)


もし本当に幽霊なら、何かと騒ぐことになるかもしれない…。
そう思った俺は、騒ぎになる前に調べることにし、
声のする場所を探すことにした。


(………こっちか…)


声は屯所内…そして上の方から聞こえる気がする…。


(屋根裏か…屋根の上か…?)


ウロウロと歩き回って辺りを見回した時、
屯所の壁にはしごがかけてあるのを見つけた。


(…?)


幽霊が梯子を使うのか…。
不振に思いながらも、朝はなかったはずの梯子。
それに誘われるように俺は屋根に上がった。

梯子を上がり、ひょいと屋根の上に顔を出すと、
すぐに目に付いたのは屋根の端にいる人影。幽霊ではない。


…?)


白い着物の就寝着は、一瞬そうかと思わせたが、
あの温かい髪が月明かりに照らされていたからすぐにわかった。

だが、こんな時間にこんな所で何をしている…。

不振に思いながら様子を見ていると、


「………っ…」


辛そうな声が漏れた、やはりあの声の主はなのか…。

まさか泣いているのか…?

いつも決して笑顔を絶やすことのない
俺もの笑顔が好きだった。いつもそれに癒されていた。


それなのに…


斜め後ろからの角度からはの顔は見えない。
泣いているというのも推測だが、雰囲気がそう見えた。
今にも壊れてしまいそうな程の弱弱しい雰囲気が……


「………?」

「……っ!?」


耐え切れなくなった俺が声をかけると、
はびくりと肩を震わせて、
驚いたように俺の方を振り向いた。


「…斎藤…さん…?」


驚いた表情で俺の名を口にしたの声は震え、
瞳にも涙が溜まっていて、ポツリと涙が頬を伝った。

そんなに、俺は無意識のうちに手を伸ばすと、
頬を伝った涙を拭ってやった。

すると、は慌てて俺に背を向け、乱暴に自分の顔をこすった。

泣いていること、無意識だったのか、
泣き顔を見られたくなかったのか…。

そして次に振り向いた時は、いつもの笑顔を見せた。


「どうしたんですか?斎藤さん、こんな時間に?」


いつもと変わらない…笑顔を見せて、そう俺に尋ねたつもりなんだろう…。
だが、乱暴にこすった眼は赤くなっているし、無理やりに作った笑顔が逆に痛々しかった。


「何か…あったのか…?」

「な…何も…何もないですよ!」


俺がそう尋ねても、は一瞬顔を曇らせたが、
誤魔化すように手を振って苦笑いした。


「…………」


さっき一瞬だったが、目にした泣き顔は驚きのあまり言葉を失ったが、
やはり痛々しく、少し胸が痛んだ気がした。

だが、今の作り笑い、涙を隠してまで笑って見せた今の表情は、
さっきの泣き顔よりも遥かに痛々しく、俺の胸を締め付けた。


「…………っ」

「ひゃあ!?さ、斎藤さん?」


とても黙って見ていられず、俺はの腕を掴むと自分の元へ引き寄せた。
は驚いた声を上げたが、抵抗するような素振りは見せなかったので、
俺はの体を腕の中に閉じ込め、そのまま抱き締めた。


「無理をする必要はない…。」

「……え…?」

「泣きたいのなら…泣けば良い…我慢する必要などないだろう…」


そしてぽつりとそう呟いた。
必死に涙を堪えている姿が…見るに耐えなかった。
泣き顔など見たくはないが、だからと言って無理をしている姿は辛すぎる…。


「…………」

「……………?」

「すみません…斎藤さん……。」


きゅっと微かに腕に力が籠められ、
微かに耳に聞こえた声は謝罪の言葉だった。


「……謝らなくていい…辛い時は……誰にでもあることだ…。」

「……はい…。」


俺がそう言うと、は甘えるように俺の胸に顔をよせた。
普段いつも笑顔でいるから、こんなにも弱っていること…気付けなかったのか…。
あれは精一杯の強がりだったんだろうか…。

いつもどんな時でも笑っていて、そんなに癒されて、
求めていたのは俺だけではないだろう。
この殺伐の中…この優しい光がどれだけ支えになっていたか…。

だが、思い返せば、自身が弱音を吐いたことはなかったかもしれない。
ふわっとした柔らかい雰囲気は『強い』と形容はされないだろうし、
むしろ色々な意味で『弱そう』ではあった。

細い腕や華奢な体、幼い顔立ちも、
新選組隊士にはとても思えないようなものだった。

戦いに関する考え方も、優しさ故だが甘いもの…
致命的ではないかと思ったこともある。

だが、覚悟は確かに持っていて、
戦場では見かけによらず気丈で有るべき時は弁えていた。

見た目からは想像できないほど…は強かった…。


だがそれも完全ではないこと、どうして今まで気付けなかったんだ。
それが無理を重ねた結果であること…何故気付けなかったんだ…。

いつも笑っているのは強いからでも、傷つかないからでもない。
弱くても、傷ついても、強くあろうとしている気持ちの賜物。
たとえ辛くとも、それを悟られまいと必死だから。


は兄と二人だけで今まで過ごしていた。
たった二人だけの家族。

のことだ、兄に心配を掛けまいと、迷惑を掛けまいと思い、
耐えてきたことも多いはず…それが重なって弱音を吐くことをしてはいけないと、
思うようになって、人前では明るく振る舞う癖がついていたのかもしれないな…。

それでも時には耐えられなくなって、
誰かに頼りたい時はあるはず、だが今は頼みの綱の兄もいない。


だから……こんな所で一人で泣いていたのか…?


……」


俺はもう一度腕に力を入れてを抱き締めた。


「辛い時は我慢しなくていい……。
 そういう時は…俺に言えと…前にも言っただろう…。」

「え…斎藤さん…?」

「お前は何でも一人で抱えすぎなんだ…。
 人に頼り過ぎは良くないが、一人で無理し過ぎるのは余計に悪い…。」

「…………」

「お前の泣き顔は辛すぎる…
 だからと言って無理をしているのは余計に辛いがな…。」


斎藤さんは複雑そうな顔をしているにそう言い、
苦笑いすると、顔を寄せ、の涙の伝った頬をなめた。


「…○▲×□!?さ、斎藤さん!?な、何を…///


斎藤さんの行動には驚き、真っ赤になると、
慌てて斎藤さんから離れようとしたが、
斎藤さんは腕の力を緩めるようなことはしなかった。


「…こんな所で暴れると危ないぞ?」


それどころか、そう言ってますます力を込めた。


「あ、あの!でも!///

「お前が泣き止むまでは……離しはしない…」

「〜〜っ!///


そして今度はあやすように瞼に、頬に、優しく口付けをした。


……もう泣くな…。」

「……はい…///


あまりの恥ずかしさに、はもうすっかり泣き止んでいた。
真っ赤になった顔を隠すように、恥ずかしくて顔を上げられなくて、
斎藤さんの胸に顔をうめて、小さくそう返事をした。

斎藤さんの行動には驚いたけど、不思議と嫌ではなかった。
恥ずかしいのは事実だし、困惑もしたけど、抵抗しなかったのは何故か…。

不安な時はこうして兄上が抱き締めて、慰めてくれていたこと。
ああして涙を拭ってくれたこともあるからなのか?
こうして抱き締められている安心感は、兄と似たものはを感じていただが、
激しく波打つ心臓の動悸はやはり違うと告げていた。


「夜が……」

「ん?」


激しい動悸を抑えるように、
ゆっくりとした口調で、は口を開いた。


「夜が…真っ暗なのが恐かったんです…。」

「…………」

「兄上は…夜には極力帰って来てくれました。
 いつも、夜私が一人にならないように…。
 小さい頃、夜一人ぼっちで家に居た時、恐くて、
 ずっと泣いていた私の為に…。」

「……そうか…。」

「もちろんそれは昔の話で…今は…平気です。」

「……ああ」

「平気なんです…けど…今でも…時々無性に恐くなる時があって
 ……真っ暗な闇に…飲まれてしまいそうに恐くて…」


ぽつりぽつりと話すだったが、
そこまで言うとぎゅっと斎藤さんの着物を掴んだ。

本当に怯えているように。

斎藤さんはそんなの背中を優しく撫で、話を促した。


「……でも…そんな時は…月や星を見て……暗やみだけじゃない…
 って、思い直すんです…。小さくても…光がちゃんとあるって…兄上が…。」

「だから…屋根に…?」

「……はい。……月や星を見て…少し安心はしました…。
 でも、兄上のことを思い出して…今度は少し寂しくなってしまって…
 兄上は…今は…どうしてるのかなって……。
 もう…いつまでも…兄上に頼ってばかりじゃいけないってわかってるんですけど…。」


手を離し、そっと斎藤さんから離れたはそういって自嘲気味に苦笑いした。
そんなを見て、斎藤さんがふっと笑いをもらすと、は情けなさそうに俯いた。


「……新選組隊士失格ですね…。」


笑われてしまったのかと肩を落として落ち込んでいるに、
斎藤さんは手を伸ばし、そっとの髪をすいた。


「いや…羨ましいと思っただけだ…。」

「え?」

「お前に……そこまで必要とされているさんが…」


そして、もう一度抱き寄せ抱き締めると愛しそうに髪に顔をうめた。


…俺ではダメなのか…?」

「え?」

「俺では…お前のその寂しさをうめてやれないのか?
 …俺もいつもお前を見ている……辛い時は…言ってくれれば…俺が…傍にいる…。」


耳元で、そう囁いた斎藤さんの言葉は、の心にすっと入り込み、
優しい温かさが広がるようだった。やっぱり兄上とは違うような…。


「ありがとうございます……斎藤さん…。」


はそっと斎藤さんの背中に手を回し、
抱き返すと、嬉しそうにお礼を言った。



***おまけ

屋根を下りると、
斎藤さんはを部屋へ送ってくれた。


。」

「はい?」

「こういう時は、さんはどうしていたんだ?」

「え?」

「夜、お前が辛い時だ。」

「…一緒に寝てくれました。」

「…そうか。」

「斎藤さんも一緒に寝てくれますか?」

「…………」

「……?斎藤さん?」

「……いや…お前…本気で言ってるのか?」

「え…?……誰かと一緒に寝るのって安心しません?」

「……安心か……」

「?」

「……お前が良いなら良いが…何もしない保障はないぞ……」

「は?」

「……はぁ…なんでもない…」


盛大なため息をついた斎藤さんでした…。








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2012.06.17