…頼みがあるんだが…。」

「…え?何ですか?」

「…聞いてくれるか?」

「それは…聞けることなら聞きます…けど…?」


いつにも増して真剣な様子でに声をかけてきた斎藤さん。
不思議に思いながらも頷いたに、
斎藤さんが提案してきたのは思ってもいない事だった。





-名前を呼んで-




「名前を…」

「え?」

「名前を呼んでくれないか?」

「??…斎藤…さん?」

「いや…そうじゃなくて…」

「???」

「『名前で』呼んで欲しいんだが……。」

「え……?」


何故か妙に切迫した空気、斎藤さんはかなり必死らしい。
けど、突然何故…?ということの方がには気になった。


「あの……どうしてですか?どうして急に…?」

「それは……」


に尋ねられ、斎藤さんは明らかに動揺…と言うか、
ばつの悪そうな顔をした。

突然のこと、の疑問も尤だと斎藤さんもわかってはいるらしい。
それでも…。


「……頼む…一度だけでも良いんだ…!」


斎藤さんは再度に懇願した。


「…………?」


よくはわからないが、斎藤さんがそこまで必死に頼むのなら…、
はコクリと小さく頷くと、名前を呼ぼうと口を開きかけたが…。


「…………」

「…………」

「…………」

「………///;」


ものすごく真剣な表情で、じーっと真っすぐ顔を、
瞳を見つめられ、は段々恥ずかしくなり赤くなって口を閉じた。


「……?」

「…………っ///


赤くなり俯いたに、斎藤さんは不思議そうに首を傾げ、
顔を覗き込んできた。


、どうした…」

ご、ごめんなさい!斎藤さん!やっぱり無理です!!

「え?」


は赤くなった顔を隠すように深く頭を下げて謝罪すると、
そのままきびすを返し、脱兎のごとくその場から逃げた。


「あ…!お、!?」


突然のことで、さすがの斎藤さんもを引き止める暇もなかった。


「…………はぁ」


結局、言ってもらえなかった上にいきなり逃げられ、
斎藤さんはがっくりと肩を落とし、ため息をついた。



***



「……はぁ…はぁ…」


斎藤さんの所から逃げ出してしまったは、
そのまま自分の部屋に駆け込み、ピシャっと戸を閉めるとその場にへたりこんだ。


「…………っ〜〜〜//////


そして真っ赤になった顔を押さえ、声にならない声を上げた。
自分でもよくわからないが、何だか妙に恥ずかしくて、結局口にできなかった。

斎藤さんの名前。


(どうして…///)


どうしてこんなに照れているんだろう。

以前に、藤堂さんにも名前で呼んでほしいと言われたことがあった。
だが、あれは自分のふとした間違い(?)からで、
もう一度と頼まれた時も少し恥ずかしかったものの口にはできた。

結局あの時だけで、今はいつも通り名字で呼んでいるが…、
ともかくあの時は言えたのに…。

今だって、よくはわからなかったが、斎藤さんが必死だったのはわかっていたのだから、
言ってあげたかった、名前を呼ばなければと思ったはずだった…のに…。

斎藤さんの顔を見るとできなくなってしまった。
藤堂さんも斎藤さんも、呼び慣れていないのは同じだし、
藤堂さんの時も多少の照れや恥ずかしさはあった。


(でも言えたのに…)


どうして斎藤さんには言ってあげられなかったのか…。


(…………?)


は照れていたのも忘れて不思議そうに首を傾げた。



***



「あれ?ハジメさんどうしたの?」


に置いてきぼりをくってしまった斎藤さん。
がっかりしている所へ声をかけたのは藤堂さんだった。


「藤堂……」

「な、何?オレ何かした…?;」


何気なく声をかけただけなのに、
何故か殺気の籠もった視線を向けられ、
藤堂さんはおもわず怯んだ。

実は斎藤さん、が藤堂さんのことを名前で呼んだ時、
それを聞いていたのだ。

鈴花さん以外は名前で呼ばないが、
藤堂さんのことを名前で呼んだことが何故か妙に気に障った。

たった一回だけだったとしても…。

自分は呼んでもらったことはないのに…。


「藤堂」

「何?」

「おまえ…何故あの時…」

「あの時?いつのこと?何のこと?」

「…………いや、何でもない…」

「はぁ?…って…ハジメさん?」


斎藤さんは藤堂さんに何事か言い掛けたが、結局口を接ぐんでしまった。
そして、そのまま藤堂さんのことは無視して行ってしまった。

わけがわからないと呆気に取られて斎藤さんを見送る藤堂さん。
斎藤さんはこのままでは納得いかないと再びの元へ…。



***



「あれ〜?くん、」

「あ、近藤さん。」


少し落ち着いた
部屋に閉じこもっているわけにもいかないので、やっと出てきて廊下をぶらぶらしていた。
ら、近藤さんに声をかけられた。


「どうかした?何かあった?」


近藤さんはいつもと同じ、優しい笑顔でそう言った。


「…え!ど、どうして…;」

「そりゃ、顔に書いてるから。」


もう落ち着いていると自分では思っていたのに、近藤さんに指摘され、は慌てたが、
近藤さんはの頭を優しく撫でると、落ち着かせるようにゆっくり話し掛けた。


「あ〜大丈夫、大丈夫、くん。
 どうしたのかゆっくり言ってごらん?」

「…………」

「ん?」


近藤さんにそう言われ、顔を上げたは、
じーっと近藤さんの顔を見つめていたが、おもむろに口を開くと、

勇さん

と口にした。


「………え…」

「え;…っと、こ、近藤さんのお名前…『勇さん』ですよね…?」


驚いたような顔をした近藤さんの反応に、は名前を間違えたのかと慌て、
もう一度、今度は尋ね直したが、近藤さんは真っ赤になって狼狽えていた。


「あ、え、そ、そうだけど…///


いつもの近藤さんらしくもない、挙動不振な態度と真っ赤な顔。


「近藤さん…?」

「いや…その…い、いきなりだったから驚いて…ね///


は不思議そうに首を傾げたが、近藤さんはあはは…と、
頭をかきながら乾いた笑いをして、必死に誤魔化そうとしていた。


「??」


だが、近藤さんが狼狽えている理由がわからないは首を傾げるばかりだ。
と、そこへやってきた人物にはビクリと反応した。


!」

「!さ、斎藤さん…;」


さっき逃げるように場を離れただけに、ばつの悪い
さっきよりもさらに必死な雰囲気の斎藤さんにおもわず目を泳がせた。
近藤さんは斎藤さんの出現に、狼狽えていた様子は戻り、何事かと二人を見つめた。


…」

「あ〜えっと…その…;;」


斎藤さんは真っすぐを見つめたまま近づくと、
微妙に後ずさったの手を取って握り締めた。


「……!」

「………」


また逃げられてはたまらない、との対策。


「……;」

「……頼む…」


ぐっと強く手を握り締め、再度懇願する斎藤さん。
はすっかり困った顔をした。


「……さ、斎藤さん…;」

「…………今…」

「…?」

「今、近藤さんのことは名前で呼んでいただろう…」

「!」

「何故俺は駄目なんだ…?」


今の近藤さんとの会話を聞いていたのか、斎藤さんはそう言って顔をしかめた。


「…………」

(………なるほどね…。)


返事につまる
そんな二人のやり取りを見て、近藤さんはさっきのの行動の意味に気付いて納得したように心の中で呟いた。
そしてちょっぴり残念な気持ちも…。


(くんが突然俺を名前で呼んだのは、斎藤くんのせいか…。)


二人を見つめ、近藤さんは苦笑い。
そして、斎藤さんはに名前を呼んでは貰えていないのだと言うことも気付いた。


「…………」

「…………」


すっかり困った様子で沈黙している二人。
ただ、近藤さんはが斎藤さんの名前を呼べない理由はなんとなくわかっていた。


(くんは斎藤くんのことが…)


近藤さんがそんなことを思っていると、
斎藤さんが再度口を開いた。


、俺は…」

「ごめんなさい!」


斎藤さんが何か言い掛けた時、口を開いたのはも同時で、
斎藤さんの言葉はの謝罪に阻まれてしまった。


?」

「〜〜ごめんなさい!本当に!
 でも、斎藤さんは駄目なんです!斎藤さんはどうしても無理なんです!


半ば半泣きでふるふると首を振り、拒否した
だが、実際泣きたかったのはそんなことを言われた斎藤さんの方だろう。
の言葉がグサッっと突き刺さる音が近藤さんには聞こえたとか聞こえないとか…。


「「…………」」


お互いすっかり落ち込み暗い顔になっていると斎藤さん。
近藤さんは苦笑いしていたが、なんとか二人を宥めようと間に入った。


「あ〜二人とも落ち着いて。」

「…近藤さんは黙っていて下さい……」

「…………;」


さっきのことで機嫌が悪いらしい斎藤さん。
相手は局長と言うことも忘れて殺気全開…、さすがの近藤さんもちょっと怯んだ。


「あのね、斎藤くん。そんな至近距離で顔を見られていたら言いにくいんだよ。」

「…………」

「だから斎藤くん、ちょっと後ろ向いてみたらどうだい?」

「…………」

「そしたらくんも言えるかもしれないし…、」

「…………そうなのか??」


近藤さんを睨み付けたまま話を聞いていた斎藤さんだったが、
最後は少し納得したようにに尋ねた。


「え…は、はい…;」


言えるかどうかはわからないが、近藤さんの必死のフォローと斎藤さんの迫力に負け、
は頷き、それを見て斎藤さんはしぶしぶの手を離すと後ろを向いた。


「…………」

「…………」

「…………」


三人沈黙。

が言うなら静かにしなければと黙った近藤さんと斎藤さんだが、
肝心のも黙り込んでいる。


(くん、ほらがんばって!言ってあげなよ一回ぐらい。顔見ないなら言いやすいでしょ?)


仕方なく近藤さんは小声でを急かすが、


(で、でも;やっぱり恥ずかしいです…///)


と、真っ赤になり困った顔をする


(……///)


そんなにおもわず赤くなる近藤さん。
だが、このままでは近藤さんは斎藤さんに恨まれたままになる…;
近藤さんは尚も必死にを説得した。


(ほらほら、俺には言えたし…思い切って!)

(……う〜ん;)

(斎藤くんのためだから!)

(……///)


赤くなったまま、それは困った顔をしていただったが、
近藤さんの必死の説得、そして斎藤さんの必死の懇願に折れたのか、
後ろを向いている斎藤さんに恐る恐る近付いた。
そして、キュッと斎藤さんの着物を掴むと、


「その…すみません…でした………………ハジメさん///


と、一言。

名前の部分は消えそうな程の小声。

それでも斎藤さんにはなんとか聞こえたらしい。


!!……?」


名前を呼ばれ、斎藤さんは驚いた顔をし反射的に振り向いた。
が、はいない。


「近藤さん…は?」


必然的に近藤さんに尋ねたが、近藤さんは苦笑いし、


「ま、今はこれで勘弁してあげてくれないか、斎藤くん。」


と言った。


くんが渋ったのは、斎藤くんのことが嫌いだからとかじゃないし、」

「…………」

「恥ずかしいって…照れているだけだから。」

「…………わかりました。」


少し複雑な表情で、まだ納得しかねている様子ではあったが、
斎藤さんはしぶしぶ了解してくれた。



***



「がんばったね…くん。」


斎藤さんが行ってしまうと、
近藤さんは自分の後ろに隠れていたに声をかけた。


「けど、あれでよかったのかい?もう少し何か言ってあげても…」

「もう無理です〜;」


首だけ振り返りそう言った近藤さん。
は近藤さんの背中にしがみ付いて首を振った。


(やれやれ…)


近藤さんはそんなを見て苦笑い。

が斎藤さんのことを名前で呼べないのは、斎藤さんのことを少なからず意識しているためだ。

自覚はなくても、他の人とは違うと心が思っているから。
そして、自覚がないからここまで困惑し、混乱しているのだ。

この反応を見ると確信できるな、と近藤さんは一人納得し、ちょっぴり複雑な顔をした。

自分のことはあっさり言えたわけだし。
ここまで想われている斎藤さんが少し羨ましいと…。


(当事者の二人はわかってないんだけどね…。)


鈍い二人に近藤さんは苦笑いするしかなった。


(まあ、いつか自然に呼べる時がくるよ…。)


近藤さんは自分にしがみ付き、
困っているの頭をそっと撫でて、心の中でエールを送った。




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2009.03.13