たった一人の愛しい姫君…。

俺の希望はお前だけ。

俺の光はお前だけだ。

だから頼む…もう一度目を開けて…、
目を覚まして…俺を一人にしないでくれ…。





-吸血鬼とねむり姫-




俺の名は「ハジメ」。

俺は…吸血鬼だ…。

陽もあたらない真っ暗な森の、さらに奥。
真っ暗な城に一人で暮らしている。

いつから暮らしているのか、
何のために暮らしているのかはもう覚えていない。

いや…何のために生きているのかも分からなくなっていた。

人の生き血を吸う事もやめて何百年も経つというのに俺は未だ生きていて、
ただ日がな毎日を一人…過ごしていた。

人の生き血が食事と言うことで人に恨まれ、憎まれ、
そんな日々に疲れていた。

長い月日の中、親しくなった者もいたが、
俺の正体が分かると皆最後には俺を恐れ、憎悪するのだ。

もう誰も信じないと決め、自分の城に閉じこもり、
果てしない年月が過ぎたのに…、俺はまだ生きている。

永遠の命など…。

生きていればいつかは光を…そんな風に考えていた時もあったが、
もう今ではそれすらも愚かな幻想と思うようになっていた。


「…………」


月を眺めていた俺は翼を広げると窓から外へと飛び出した。
城に閉じこもって過ごしている俺だが、満月の夜だけは少し外に出ていた。

もういつ朽ちても良いと思っているが、唯一満月の日だけは…。
満月に照らされた森を眺めることで、少しだけ気が紛れるから。

いつも見納めと思っているだけかもしれないがな…明日朽ちるなら、
最後この美しい森をこの目に…と…。


「……ん?……あれは…?」


ふと、森の上を飛んでいると森の中に明るい色が見えた。
もともと真っ暗な森、さらに真夜中の今。

一体何が…?

興味の惹かれた俺はその色の側に降り立った。


「…………!…女?」


色の正体は人間の女だった。
陽の光のように明るい色の髪が月明かりに照らされて美しい。

しばらくそれに目を奪われ惚けていたが、気付かれては不味いと慌てて身を隠した。
だが、よく見ると女は気を失っていた。


「…………」


人間と関わることはもう疲れた。
この女も、今助けた所でいずれは俺を恨む。

別に感謝されたいわけではないが…所詮人間の命など短く一瞬で散るものだし…。
そう思い俺はそのまま城へ戻った…。


はずだった…が、俺の腕の中にはさっきの女が…。


「…………」


気を失ったままの女をベッドに下ろし、俺はため息をついた。

……放っておくつもりだった。

確かに放っておけば女は助からなかったかもしれないが、
俺が一時的に助けた所で差して変わらない。
俺を恐れ、城を逃げ出し、また同じ結果になる。少し遅れるか否かの違いだ。

だが、俺は女を連れて帰った。


「…………」


理由は……きっとこの髪だろうな…。

俺は眠っている女の髪にそっと触れた。
窓から漏れる月明かりに照らされた髪は明るい光を放ち、
俺の手を流れるように滑るとふわりとベッドに落ちた。

色同様、柔らかくて温かい…。
陽の光とはあい慣れない存在である俺には眩しすぎる気もするが、
それがたまらなく愛しく感じたから。


「…………」


髪に触れていた手を放すと、俺はベッドに腰掛け、改めて女の顔を見た。
気を失っているから、瞳は閉じられたままたが、こうして見ると容姿も愛らしい女だった。

まだ幼さの残るような顔立ちだが、それが愛らしいと思うのだろう。
……だが、目を覚ましたら…この女も怯えた目を俺に向けるのだろうな…。

そう思うと胸が痛み、いっそ目を覚まさなければと思ってしまった。
が、俺の願いも虚しく、女は身を捩ると、小さく声をあげて起き上がった。


「ん……」


目を擦っている女を横目に見ながら、俺は気付かれないように部屋を出ようとした。
またいきなり拒絶の言葉を投げ掛けられるのも辛い。

物音を立てないようにと、扉を開いたつもりだったが、
不覚にも女に気付かれてしまった。


「あ、あの…何方か…いらっしゃるんですか?」


俺の背にかけられた言葉はそんな言葉だった。


「ああ…」


仕方なく俺は振り返らずに、短い返事を返した。


「…あ、えっと…もしかして…貴方が助けて下さったんですか…?」


すると、女はそんな言葉を続けた。


「…………」


俺は返事に詰まる。
別に助けるつもりはあまりなかったから…ただ何となくだったから…。


「……ありがとう…ございます…。」


俺が黙っていると、女は礼の言葉を口にして、俺は驚いて女を振り返った。
感謝の言葉を言われたのは何年ぶりだろうか…。
さらに驚いたのは、女は俺に笑顔を向けていた事だった。
今まで見たこともないような、優しい笑顔に俺は思わず見惚れた。

この女…俺の正体に気付いていないのか…?

いくら部屋が暗いとはいえ、俺の姿が見えない程ではないと思うが…。
背中の翼を見れば俺が人間でないのは一目瞭然なのに…。

と、そこで気付いた。
この女、目を閉じたままなのだ。


「……お前…」

「はい?」

「…目が見えないのか?」


訝しく思いながらもそう尋ねた。
すると、女は苦笑いし首を縦に振った。


「……そうか…」


それを聞き、俺は身を翻し女の側へ歩み寄った。
目が見えないのなら姿を隠す必要もないし、正体もばれないだろう。

…そう思うと急にホッとして、もっとこの女と話してみたいと思ったから…。


「すみません…」

「何故謝る?」

「いえ、…助けて頂いたのに、お顔を見てお礼を言うこともできなくて…」

「……そんなことか…いや、俺の方こそ…悪いことを聞いたな。」

「いえ、良いんです。昔からですから…。」


女は申し訳なさそうな顔をしていたが、俺が謝罪するとまたふっと柔らかい表情をした。
……こんな顔を向けられたのは何年ぶりだろう…。

全てを諦め、捨てようと思っていた、闇に落ちたはずの俺の心に小さな光が灯った。


「お前…名は?」

「え?」

「名前だ。」


人のことなど興味はない。
名も知る必要も意味もない、そう思って何年になるか…
それなのに、俺は女に名を尋ねていた。

この女の名は知りたいと思った。
それに…、


「あ、…です。」

「そうか…、…良い名だな…。」

「……そう…ですか…?」

「ああ、…俺は……ハジメだ…。
 、お前が良ければ…しばらくはここに滞在しても良いぞ。
 倒れていたんだ、体調も万全ではないだろう。」

「え!本当ですか?」

「ああ、」

「…ありがとうございます……ハジメさん…。」

「……ああ…。」


女はもう一度礼を言って……、俺の名を……口にした。

俺の名前を…。

一人になって果てしない時間が流れ、
俺の名前は全く意味を持たないものになっていた。
それを今一度…。

“ハジメさん”

女…いや、の声は心地よく俺の心に広がった。
名前を呼ばれると言うのはこんなに嬉しいことだったのだな…。
目の前で穏やかな表情を浮かべているを見て、俺の頬も自然に緩んだ。

笑ったのも…本当に久しぶりだな…。



***



それからは俺の城で暮らし始めた。
は目が見えないので、城を歩く時も俺が同行してやった。

必然的にいつも傍にいるようになり、互いに心を開き、俺はに惹かれていった。
は自分が目が見えないからと、俺に迷惑をかけていると思っているようだが、
そんなことは一切ない。むしろ頼られることが嬉しかった。

だから、が城に慣れ、一人で行動できるようになった時、
正直寂しかったぐらいだ…もう、俺は必要ないのかと…。

だが、城に慣れたというのは、それだけが長くここにいると言うこと…。
それは嬉しかったが、そう思うと、同時にいつまで傍に居られるのか…そのことが不安になってきた。

いつか居なくなってしまうのか…?
俺をまた一人にするのか……。


「…ハジメさん?」


ふと過った不安が頭に広がり、深刻な顔をしていたのか、
が心配そうに声をかけてきた。

は目は見えないがそのためなのか雰囲気に敏感で、
俺が落ち込んでいることに直ぐに気付いたようだ。


「いや……」


俺は適当に誤魔化すつもりだったが、
それでも不安は消えることはない…、それなら…


…」

「はい?」

「お前…いつまでここに……居られるんだ?」

「……え?」


俺は思い切って尋ねた。が来てから2ヵ月程。

長い年月を生きてきた俺には一瞬とも呼べる程の短い時間だった。
だが、俺は初めて生きていると感じた。

生きることが楽しいとさえ。

もう俺はお前なしでは生きていけない。
だから…もし、お前が俺の望んでいる答えではない事を言ったら…
たとえ不様でも引き止める。そう決めて…。

は俺の言葉を聞いて返事に詰まった。
不安そうな表情に俺の心が掻き乱される。

やはり…俺を置いていく気なのか…?

きゅっとの小さな手を握り締め、俺は必死に言葉を続けた。


……お前にも…帰る場所があるかもしれないが…
 俺はお前にここに居てほしい…ずっと…俺の傍に…。」

それが何よりの願いなんだ…。

俺がそう言うと、は驚いたように顔を上げた。
そんなに意外なことなんだろうか。
驚いた顔をしていただが、しばらく悩んだ後、ゆっくり口を開いた。


「あの…私……」

「…………」

「私で………良いんですか?」


不安そうな顔で、が口にしたのはそんな言葉だった。
自分は目が見えないのに、俺に迷惑ばかりかけているのに、本当に良いのかと。


「そんなことは関係ない。お前が……お前だから良いんだ。」

「……ハジメさん…///


不安そうな様子に、俺がきっぱりそう言うと、は赤くなって俯いた。
そんな様子が愛しくて、俺はを抱き締めた。


「お前が好きなんだ…。」


ぐっと腕に力をこめて呟くと、はますます赤くなり、俯いたが、


「……わ、私も…好きです…///ハジメさんの…こと…///


微かにそんな言葉が聞こえた。


「本当か?」

「え?……あ、は、はい……///


聞き間違いかと思わず尋ね返したが、は真っ赤になりながらも大きく頷いた。

本当に…も俺と同じ気持ちで……。

俄かには信じがたいが、真っ赤になっているの顔を見ていると真実だと思えそうだった。
そして、俺が一方的に抱き締めていただけだったのだが、もそっと俺の背中に手を回した。


「………!」


俺は嬉しくなり、再度を抱き締めようとしたが、
その時……背中に回したの手が俺の翼に触れた。


「!!」


それに驚き、俺は思わずから離れた。


「……ハジメさん…?」

「……あ…いや…すまない…、何でも…ない…。」

「…………」


突然離れた俺に、は不思議そうな顔をしていたが、
俺がそう言うと少し悲しそうに笑った。

…当然だな。
散々俺の方からお前を求めたのに、突然こんな…。

気まずい雰囲気になり、俺は仕方なく忙しいからと理由をつけて部屋を出た。


「……すまない…」


部屋を出かけに俺がそう言うと、は首を振った。
…本当に……すまないと思っている…。



***



部屋を出た俺は長い廊下を歩きながら先のことを考えた。
が俺の気持ちに答えてくれたのは嬉しいが…俺はに隠していることがある。
そんな状態のままで…本当に良いのだろうか…と…。

秘密を抱えていることは、の気持ちを裏切っていることになるのではないかと…。
は俺を好きだと言ってくれた。その気持ちは信じたい。
なら…本当のことを言っても俺を受け入れてくれる…そう思いたかった。

だが…のことを想えば想うほど真実を告げることが恐くなった。
もしも…拒絶されたら…。


結局…俺の正体は黙ったまま、またいつもの日常が戻った。
想いは伝えても、俺との関係も日常も然程変わりはしない。

変わらない…かと思われた…。



***



「…………」

「……?どうした…?顔色が悪いが…どこか具合でも悪いか…?」

「いえ……大丈…夫……」

「…!!!」


あの日から数日と経たない日に、は病に倒れた。

その頃町では流行り病で亡くなるものが相次いでいたらしい。
町から離れたこの城に居れば問題ないと思っていたのに…。


……」


苦しそうな様子で寝込んでいるを眺めながら、
俺はぐるぐると暗い考えが頭を過っていた。

このままでは…は…。

俺が自分の正体をに黙っていたのがいけなかったんだろうか…、
だから罰があたったのか…?

自分のことしか考えられず、俺が結局を信じきれなかったから…。
激しい自己嫌悪に頭を抱え、俺が沈んでいると、ふとが口を開いた。


「……ハジメさん…」

…すまない…俺が…」

「…どうして…ハジメさんが謝るんですか?
 ……私…幸せでしたよ…、ハジメさんに逢えて…」

「………」

「私も…ずっと一人でしたから…目が見えないことで…いろんな人に…迷惑を…。
 でも…ハジメさんは…いつも傍にいてくれて…凄く…嬉しかったです…。」

「………」

「もう…ずっとひとりで生きていかないといけないのかと…殆ど諦めていたんです…。
 本当は凄く寂しくて…誰かに甘えたかったけど…言えなくて…。
 もう…生きることも諦めそうでした…。」


弱弱しい声で紡がれた言葉に、俺は目を見開いた。
俺と同じ…かつて、俺がに逢う前に思っていたこと。
まさか…も…。

俺と過ごしている時は、は決して笑顔を絶やさなかった。
まさかそんな風に思っていたなんて。
盲目であることも…そんなには気にしていたのか…。

盲目であるが故に俺の正体に気づくことがなかったことに
安心していた自分が恥ずかしくなった。はこんなに気にしていたんだな…。


「ハジメさん…」

「……何だ…?」

「…私が…このまま目を覚まさなくなっても…どうか哀しまないで下さい…。」

「…!」

「私は…貴方に逢えて幸せでした、悔いはありません…。
 貴方を一人残していくことは申し訳なく思っています…。
 でも…私の心はずっと傍に…私が想っているのは…いつまでも…ハジメさんだけです…。」

…」

「大好きです…ハジメさん…今までも、これから先もずっと…。
 …私のこと…好きだと言ってくれて…嬉しかったです…ありがとう…。」


そこまで言うと、は…


「……?……!」


俺は慌てて声をかけたが返事はなかった。
…まさか…


!目を開けろ!……一人で居るのは寂しいと言っただろう!
 …俺も同じだお前がいないと…頼む…目を…開けてくれ…!」


俺は今までにないぐらい声を張り上げ、に縋りついた。

哀しまないで欲しいとは言ったがそんなこと無理に決まっている。
お前は俺を置いていくのか、俺にとってもお前が全てだったんだ…。

目を開けてくれ…、もうお前に隠し事などしない。
もう恐れるものか。
お前を失うよりも恐ろしいものなどない。

目を開けて、俺を見て、もしもお前が俺を恐れても、
お前が生きてさえいればそれでいい。
今言ってくれた言葉だけで、俺はもう十分満足だ。

だから…生きてくれ……。


俺は城の地下深くにある保管庫から、
秘薬を持ち出すと自分の口に含み、に深く口づけた。


お前のことは…死なせはしない。

いつか…お前が目を覚ますまで…俺はずっと待っている。
何百年…何千年経とうと…お前の傍を片時も離れず、いつもお前を想って…。

だからもう一度目を開けて…俺を見てくれ。
俺も今度はお前に全てを伝えるから…。

いつか…必ず…目を覚ましてくれ…。

たった一人の俺の愛しい眠り姫…。








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2008.06.28