-春風邪-




「クシュン!ゴホッ!…っ…風邪かな…。」


だいぶ暖かくなってきた小春日和のある日の朝。
大きなくしゃみと咳一つ。
そんなことを呟いたのは、神崎優さん。

現代から突然幕末の時代へやってくるという、
とんでもない目にあったのに、いつも元気で明るい女性。

こちらへ来てから風邪を引いたことはないが、
突然の環境の変化、気候の変化などもあるかもしれない。

最近は暖かくなってきたが、暖かくなったのに、
また寒くなったりと…風邪を引く人もいるかもしれない気候だ。


「くしゃん!くしゅん!」

「…優さん大丈夫ですか?風邪ですか?」

「あ、倫ちゃん。…くしゅん!」


くしゃみが止まらない彼女の様子を心配し、
声をかけてきたのは、花柳館では仲の良い女の子の志月倫さんだった。

心配そうな顔をしている彼女に、優さんは笑顔を返した。


「大丈夫だよ…くしゅん!…心配しないで…はくしょん!」

「………;」


が、やっぱりくしゃみが止まらない。
倫さんは苦笑いし、そこへまた誰かやってきた。


「あれ?優さん風邪?」


倫さんの幼馴染の咲彦君だ。


「別に…くしゅん!そんなこと…くしゃん!」

「……でもくしゃみが止まらないみたいだね…。」


相変わらずの様子に苦笑いしたが、
何か思いついたのか、咲彦君は手を叩くと、


「あ!息を止めたら治るんじゃなかったけ!」


と言い、


「あ、なるほど!」


と、倫さんも同意したが、
少し違和感を感じた優さんが首をかしげると。

後ろから、「ばーか。」と、呟いた声が聞こえた。


「それは『くしゃみ』じゃなくて『しゃっくり』だろ。」


振り返ると立っていたのは陸奥さん。


「相変わらずだよなお前ら…。」


馬鹿にしたような顔で咲彦君と倫さんを眺めてぽつりと呟いた。
そんな言い方にムッとした優さんが反論しようとすると、
それに気づいたのか、陸奥さんは優さんが口を開く前に言葉を続け、


「風邪って言うか、むしろ花粉症じゃね?
 ま、オレには関係ないけどな、移さないでくれればそれでOK。」


と、言いたいことを言ってさっさと行ってしまった。


「も〜!陸奥君は…くしゅん!相変わらず…くしゅん!」


腹は立ったが、こんな状態では呼び止めることもできない。
別に体はだるいとかはないのだが、やっぱり不便だ。


「……花粉症なのかな…?…クシュン!」

「でも、風邪の前兆かもしれませんから…。」

「うん、良順先生にでも見てもらった方がいいかも!」

「……う〜ん…。」


陸奥さんに言われたことを考え、ポツっと呟いた優さんだったが、
やっぱり体調不良だった時のことを考えるべきだと、
倫さんと咲彦君の二人は提案し、松本先生の所へ行くことを勧めた。

別に本当に体調はなんともないのに…。

優さんはそう思い、腕を振り上げた。


「体は…くしゅん!別にだるくないし…くしゅん!
 別に風邪じゃないと思うんだけど…くしゅん!」

「でも…」

「ほらほら…くしゅん!」

「いてっ!」


心配そうな顔をする二人に、優さんは元気だと言うことをアピールするべく、
腕をふりまわしていると、何か当たった感触がし、同時に声が上がった。

…どうやら誰かを殴ってしまったらしい…。


「ご…くしゅん!…ごめん…;くしゅん!」

「この俺様を殴るとは良い度胸だな…?優…?」


優さんが慌てて振り向くと、立っていたのは辰巳さん。
かなり不機嫌な様子で、優さんを睨み付けたが、


「…くしゅん!…ホント…クシュン!…ごめんん;くしゅん!
 悪気は…くしゅん!なかっただけど…くしゅん!」

「………どうした…;」


くしゃみの止まらない優さんに、辰巳さんも流石に少し心配になったらしい。
倫さんと咲彦君から、松本先生の所へ行くよう進めていることを聞いて、
自分が連れて行くと言ってくれた。


「え…でも…くしゅん!」

「ま、困ったときはお互い様だろ。心配すんな。」


まだ躊躇っている優さんの手を取ると、辰巳さんは半ば強引に連れ出した。
厚意で言ってくれているのはわかるが、そんな辰巳さんに優さんは苦笑い。

と、そんな二人が玄関を出ると、ちょうどやってきた中村さんに遭遇した。


「あ…くしゅん!中村さん…くしゅん!」

「ああ、優さん…どうした?風邪か?」

「いえ…くしゅん!そういうわけじゃ…くしゃん!」


中村さんにも同じ事を言われ、否定する優さん。
だが…。


「とても大丈夫には見えないが…。」

「ああ、だからこれから医者に見せてくる。」


心配そうな顔をした中村さんに、辰巳さんが返事をすると、
中村さんは驚いたような顔をし、


「あなたが?」


と、辰巳さんを見た。


「…何だよ、俺じゃ悪いのかよ…。」

「いや…別にそういうわけではないが…。」

「………;…くしゅん!」


何だか微妙に険悪な雰囲気だ。
二人の気持ちは嬉しいし、別にどちらでもかまわないのだが…。
どちらか選ぶのも、どっちもとも言いにくい雰囲気だ。

優さんがすっかり困っていると、


「どうかしたのか…?」


何処かへ出かけるところなのか、相馬さんが玄関から出てきた。


「あ、相馬さん!…くしゅん!何処か…くしゅん!出かけるんですか?…くしゅん!」

「え?あ、ああ…。」


何やら険悪な雰囲気、そしてくしゃみが止まらない優さんに、
相馬さんは少し訝しげな顔をしたが、


「あ、じゃあ、くしゅん!私もそこまでご一緒させてください!くしゅん!」


出かけると答えた相馬さんに、チャンスとばかりに
優さんはそう言って相馬さんの手を引いて花柳館を出た。


「あ、おい…!」

「優さん!」

「辰巳さん、中村さん!くしゅん!ありがとうございます!くしゅん!
 でも、やっぱりわざわざ悪いですし、くしゅん!
 相馬さん、ついでですから!くしゅん!>『ついで』に!くしゅん!」

「???」

「じゃあ、そういうことで!」


何とか誤魔化し、相馬さんの手を取って優さんは外に出た。

いまいち状況にはついていけず、不思議そうな顔をしている
相馬さんだったが、あの場をやり過ごすためだと言うことはわかったらしく、
何も言わずにいてくれて、それが優さんにはありがたかった。



***



しばらく行った先で突然巻き込んでしまったことを、
優さんは相馬さんに詫び、相馬さんは苦笑いして返事した。


「相馬さん…くしゅん!すみません…くしゅ!突然…くしゅん!」

「いや…別にかまわないが…優さん風邪か?」

「別に…くしゅん!そんなことないと…くしゅん!思うんですけど…くしゅん!」

「…………」


が、それでもやっぱりくしゃみがひどい。
流石に大変なのだと気づいた相馬さんは心配そうに優さんを見た。


「大丈夫か?相当ひどいようだが…。」

「大丈…くしゅん!これから良順先生の所へ…くしゅん!」

「松本先生の所へ行く所だったのか?」

「はい…くしゅん!」

「なら…俺が…」


相馬さんがそう言った時、何やら軽快な足音が聞こえ、
同時に…。


「相馬〜〜!!」

「「!!」」


明るい声が聞こえて、相馬さんの名前を呼んだ人物は、
そのまま相馬さんに体当たりした。


「…野村君…くしゅん!」


相馬さんに突撃したのは野村さん。
相馬さんの友達だ。


「あ、優ちゃん!こんにちは!」


野村さんは優さんにも明るく声をかけた。
相変らず、気さくで明るい人だ。


「…あれ?優ちゃん風邪?」


ただ、やっぱり優さんのくしゃみに気づいて、
野村さんも心配そうな顔をした。


「いえ…くしゅん!大丈…くしゅん!」


それに慌て、大丈夫、と言おうとしたが、やっぱりくしゃみは止まらない。
本当にどうなってしまったのか…。

相馬さんも野村さんも心配して、松本先生の所へ送ってくれると言ってくれたが、
元々相馬さんはさっきのことで巻き込んでしまっただけだし、
これ以上二人に迷惑をかけたくなかった優さんは丁重に断って、
一人で松本先生の所へ向かうことにした。

本当にくしゃみが止まらないだけで、体調は問題ないのだから…。

そう思っていたのに、
優さんはだんだんと体が重くなってくるのを感じた。

やはり風邪の前兆だったのか…。

そう思った時には、すでに遅く、ふっと意識が途切れた。
瞼が落ちて、真っ暗になった視界。

だがその前に一瞬黒いものが動いた気がした…。



***



「………あれ…?」


意識を取り戻した優さんが最初に見たのは黒いものだった。
目を開けているはずなのに周りは黒い…?

(私…どうしたんだろう…?)

わけがわからず、何が何だか理解できない優さん。
混乱している所へ呆れたような声がかけられた。


「………やっと起きた…。」


無気力そうな、めんどくさそうな、不機嫌そうな声。
しかもすぐ傍から聞こえる。聞き覚えがある声のような気はするが…。

まだはっきりしない頭を動かすと、優さんはその声の主と目が合った。
黒い瞳、黒い着物、黒い髪。…全身真っ黒の男…。


わぁ!?お、大石さん!?な、何で…!?」


優さんは驚き、大声を上げて起き上がった。
『起き上がった』と言うことは寝ていたようで、
よりにもよって、大石さんに膝まくらされていたらしい…。


「何でって…おまえが俺の着物を放さないからだろ…。」


おまけに、意地の悪い笑みを浮かべる大石さんの言葉に
気づかされたが、優さんは大石さんの着物を握り締めていた。


「…!?○▲□×…?!」


もう本当に本当にパニック状態の優さん。
本当になんでこんなことになっているんだろう…。と、焦りまくり、
大石さんはそんな優さんをそれは楽しげな顔で眺めていた。


「え〜…;えっと…;」

「何…?」


とりあえず起き上がり、大石さんの着物を放し、一定の距離をとった優さん。
いろいろ思考を巡らせているが…いまいちまだわからない。

自分は良順先生の所へ行くつもりだったはず…。

確か、途中までは相馬さんと野村君がいて…。

二人と別れた後は一人で…。

一瞬気が遠くなったような気がする、それは覚えているような…。

と言うことは…。


「大石さん…もしかして助けてくれたの…?」


まさかと思いつつも、ほんの少し期待して、優さんがそう尋ねると、
大石さんは一瞬驚いたように目を見開いたが、その後はいつもの嫌らしい笑みを浮かべた。


「助けた…?俺が…?…ククッ…。
 俺がそんな良い奴だと思ってるの…?」


相手に不快感を与えるような大石さんの言い方。
ほんの少し思っただけの淡い期待だったが、そんなわけないと思わせるには十分だった。


「思ってない…。」

「それが正解だねぇ…。」


優さんの返事に、大石さんはまた意地悪そうに笑った。
いつもの態度とはいえ、どうしてこの人の言動はこんなにも頭にくるんだろう…。

優さんは不快に思いながらも、
それでいて完全にこの人を嫌いになれない自分の気持ちが複雑だった。

それに…やっぱり…。


「…………」

「何…?」


こんなことを言っても、今の状況を考えると、
あの時気を失った自分を助けてくれたのは大石さん以外には考えられない。

大石さんに助けたつもりはなかったとしても、今のこの状態がそれを物語っている。


「………」

「………だから何?」

「…別に…。」


大石さんにいっても認めないだろう…。
そう思った優さんは、自分の中でそう思うことに決めて、ふっと笑った。


「……相変わらず変な女だねぇ…。」

「大石さんに言われたくないです。」

「……所で…。」

「?」

「おまえいつまでもこんなとこにいて良いわけ?」

「え…?」


大石さんの言葉に気づいた。
辺りがすっかり暗くなっていることに…。


「わ!?も、もうこんな時間!?」

「ったく…長いことつき合わせてくれて…。」

「え?」

「何でもないよ…。」


大石さんはゆっくり立ち上がると、
そのまま歩き出し、なんとなく優さんは後を追ったが、
気づくとちゃんと花柳館の近くまで来ていた。


(…もしかして送ってくれたのかな…?)


そう思ったが口にするのはやめた。
きっとまた否定されるだけだろうから…。


「大石さん。」

「……」

「私ここで、」

「ああ…。」


優さんがそう言って呼び止めると、
大石さんは少しだけ振り返り返事を返した。

やっぱり送ってくれたのかもしれない。


「ありがとう。」

「別に、礼を言われることをした覚えはないよ。」


大石さんはそう答えると、プイッと顔を背けて帰っていった。
優しいことは何も言ってくれていないし、いつも通りの感触るような会話だったけど、
行動は優しかったような気がする。

助けてくれたのかもしれないし、
今も送ってくれた…のかもしれない…。


(それにくしゃみもいつの間にか治ってるし♪)


何だかすっかり気分のよくなった優さんは上機嫌で花柳館の中に入った。


「ただいま〜♪」

「「「「優(さん)!」」」」

「!?」


が、花柳館の中に入ると、
何やら皆ものすごく慌てていて…。


「こんな時間まで何やってたの!」

「松本先生の所へ行ってないって言うから心配したんですよ!」

「何かあったかと思っただろ!」

「体調は大丈夫なんですか?」


「え…あ、あれ…?…あはは…;」


そういえば…と、体調不良で出かけていたことを思い出した。
いつの間にかくしゃみも止まっていてすっかり忘れていた…。


「…ったく、皆にこんなに心配させて…。」

「庵さん…;」

「優、お前今日は晩飯抜きな。」

「え!?ちょ、ちょっとまって下さいよ!」

「俺たちを心配させた罰だな。」

「……お気の毒…。」

「た、辰巳さん!富山さんまで!?
 ちょっと待って!ごめんなさい!反省してるから許して!」

「駄目だ諦めろ。」

「そんな〜!」


風邪(?)はいつの間にか完治していたが、
晩御飯を抜きにされてしまった優さんは、
お腹がすいて夜また体調を崩してしまいましたとさ…。


「……俺のせいじゃないからね…。」by大石さん




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2008.05.20