果てしなき白に包まれた雪の国。

暗い夜はなく、永久に白い白夜。

白い世界は光に包まれたものであるかのように見えるが、
その光が何より闇を浮き彫りにしていた…。





-氷の慟哭-




透き通る氷の木々の中、光が差し込んでいるにもかかわらず、
暗い闇を背負い込み、一心不乱に槍を振っている青年がいた。


「……っ…」


既に体力の限界なのか、青年は苦しそうに顔を歪めた。

そして、青年が槍を地に突き刺すと、
辺りの木々が砕け、透き通る音が反射した。

透明な氷の砕ける音。

それは傷ついた青年の心が砕けた音にも聞こえた…。


…」


砕け散った氷の欠片を踏みしめて、
青年の傍へ歩み寄り、声をかけた者がいた。

一族の象徴とも言える長い白い髪。
彼もまた同族の青年。

槍を手に苦悶の表情を浮かべている青年、
そんなに声をかけたのは、彼の友人、玄(げん)だった。


「…玄か…?何か…?」


は振り返らないまま、名を呼んだ玄に言葉を返した。
苦痛に歪んだ表情を見られたくないのだろうか。

玄もそのことを理解しているからか、
の背中に声をかける。


「そのぐらいにしたらどうだ?」

「……」

「あまり無理をするなよ…。…。」

「…………」


今にも倒れそうなぐらい、体力を消耗している
そんな彼を気遣う言葉を玄は口にした。

そんなことを言っても気休めにもならないことはわかっていたが。
そんなことを言ってもが聞かないこともわかっていたが。

だから、玄もと大して変わらない程の、辛そうな表情をしていた。

自らを痛めつけることでしか、気を紛らわせることが出来ない

それほどまでに追い詰められている友人に…、玄はなけなしの言葉をかけるしかなかった。
本当は自分には、彼に言葉をかける資格などないと思っていたが…。


…」


もう一度…、低く名前を呼んだ玄に、はようやく振り向いた。
さっきのような苦しそうな表情ではないが、
瞳には光はなく…無理やりに微笑んだ口元は寂しそうに見えた。


「心配かけて悪いな…玄…。」


槍を引きずり、玄の横を通ったは、
軽く玄の肩を叩き、「ごめんな」ともう一度呟くと氷の森を出て行った。


「………謝るなよ…」


森に一人残された玄は思わず呟く。


「…謝るなよ…むしろ謝るのは……」


玄は苦しそうに唇を噛んだ。

自分にはを慰める資格などない、
そんな言葉をかけてもらう資格もない。

むしろ自分が…自分のせいで…

グッと拳を握り締め、
苦悶の表情を浮かべた玄は、よりさらに辛そうだった…。


「玄」

「!」


そこへまた別の人影が歩み寄った…。

、玄と同じ真っ白な髪。
氷の瞳。

ただ、二人よりもさらに冷たい、
感情の感じ取れない瞳と表情をした青年だった。

青年の名は秦(しん)。
彼もまた二人の友人。


「大丈夫か…?」


感情のない表情と抑揚のない声で、秦は玄に声をかけた。
そんな秦に玄は苦笑いのような表情を返した。

秦は表情があまりなく、感情を感じ取るのは難しいが、
長年の友人である、と玄にはそれでも秦の心情は理解できた。

いつも単調で物事に興味を示さない秦が、
こんな言葉を口にするのも珍しい。

感情は籠もっていなくても、心配しているこては見て取れた。


「ああ…まあな…。けど…あんな状態だと…」


玄はさっきのの様子を思い出し、苦笑いして秦に答えた。
秦もを気にして、心配してここへ来たのだと。

妹、がいなくなってから、はずっとあんな調子だった。

塞ぎこんでいるのも心配だが、ああして、気をそらせるために、
無茶を重ねていては身体にかかる負担は酷い。

普段は明るい印象が強く、何事にも前向きで、そんなに助けられることも多い玄と秦。

だが、のそんな性格や態度は、
が居て初めて成り立っているものだと…思い知らされた。

たった二人の兄妹で、たった一人の身内。

を大切にしていることは、
一族全てのものが周知の事実だったが、皆が思うよりも深いものだったらしい。


(それなのに…)


秦に心配をかけまいと、勤めて明るく返事をした玄だったが、
暗い感情が頭を過ぎると、ふっと表情をゆがめた。


「……違う…」


そんな玄に、秦が言葉を告げた。


「…え?」

「…違う…じゃない…。玄がだ。……無理…してるだろ?」

「……!…」


瞬間玄が目を見開いた。思いがけない秦の言葉だった。
てっきりの心配をしてるものだと思っていたのに…。


「………」

「…どうして…そう思うんだ…?」


感情の読み取れない秦の瞳を見返し、
ざわめきだった心を落ち着かせるように勤めて冷静な声で、玄は尋ね返した。

が大変な今、自分まで気を揉んでいること、
あまり人に悟られたくはないから…。

だが、秦は変わらない単調な口調できっぱりと確信をついた。


が…を人間界に置いてきた事。自分のせいだと思ってるだろ…?」

「あの時を迎えに行ったから…あの時自分が迎えに行かなければ、
 こんなことにならなかったのに。…自分の責任だと思ってるだろう?」

「…………」


あまりに正論過ぎて反論できない。
玄は観念したように自嘲気味に笑うと、


「事実だからな…」


と、短く答えた。


「そのこと…が責めないから余計だな。」

「……ああ…」


そして追い討ち。
容赦のない秦の言葉に、玄は苦笑いするしかなかった。

自分の知慮が、配慮が足りなかったばっかりに…。

急ぎの用件だったとは言え、を離す必要などなかった。
まだ幼いを、初めて人間界へ行ったばかりのを、
あの国へ一人残すなど、普通に考えて、危険だと判断できることだった。

それなのにを急かせて国の戻させたのは自分。
を引き離し、を危険に晒し、を苦しめたのは自分。

どれだけ悔やんでも悔やみきれない自分の失態だ。

だが、は決して玄を責めなかった。

考えが足りなかったのは自分も同じ。
最終的に決断を下したのは自分自身。
を…一人にしたのは自分だと。

自身を責めたのだ。


なら…そう言う。」

「ああ、わかってる。」


秦の言葉に玄は頷いた。

ならそう言うであろうことはわかりきっていたが…。
どうせなら、思いっきり自分を憎んで、責めてくれればよかったのに…。

玄はそう思わずにはいられなかった。


「…馬鹿だな。」

「…ああ…本当にそうだな…。」


呆れたような…、でも気遣うような優しい秦の声に、
玄はまた自嘲気味に笑った。

秦は秦なりに玄を気遣っている。
不器用ながらも。

秦の気遣いに、ふっと玄は気持ちを緩めた。


「………」

「なあ…秦…」

「何…?」

「…ごめんな…。」

「…………」

「お前にも…悪いと思ってる…。」


には言わなかった謝罪の言葉を玄はぽつりと口にした。

にも本当は謝罪したかったが、が拒否するのは目に見えていたため
飲み込んでいた言葉だった。

だが本当は誰かに言いたかった。
それに、秦にも謝らなければいけない理由があった。


「…心配だよな…ちゃんのこと…。」

「……そりゃ…ね…。」


辛そうに言う玄に、フォローするでもなく肯定の言葉を返す秦。
ただ、少し遠慮がちではあり、


「…だからって…俺も玄が悪いなんて思ってないからね…。」


と、少しすねた調子で返した。


「わかってる。」

「じゃあ謝るなよ…。」

「「……………」」


しばしの沈黙…。

互いの気持ち、の気持ちわかっているが、今はどうすることもできない。

一族の掟、それぞれの力、何とかしたいのは全員同じ気持ちだが…。

今は期を待つしかない。


「…玄」

「……」

「…俺…諦めるつもりないから…。
 も同じだよ。は……絶対助ける…。」

「……ああ。」


抑揚のない秦の声に力が込められ、
ささやかれた言葉に、玄も力強く頷いた。

それを見て秦は玄に背を向け、森を出ようとしたが、
出かけに、背を向けたまま、玄に最後の言葉をかけた。


「玄」

「……ん?」

「玄にも…協力してもらうからね。」

「………」

「自分の責任だって思うなら…責任とってね。」

「……ああ、ありがとう。」

「お礼を言うとこじゃないよ…」


自分の責任。

それが玄には酷く重荷になっていた。

その言葉を秦はあえて玄に突きつけたが、
それは決して責めるものではなく、玄の気持ちを後押しするもの、
玄の力も必要であること、提示するためである。


「……ありがとな…秦…」


秦が森を出て行き、一人になった所で玄はもう一度秦に感謝を述べた。
自分の心の重荷を下ろさせてくれたさりげない秦の優しさに。

そして強い決意に。

とて、自暴自棄になっているわけではない。
やりどころのない怒りや不安故にあんなことをしているが、元々強い精神の持ち主。

自分が、自分達が心配することもない。
秦はそのことも伝えたかったったのかもしれない。

本当に一番不安だったのは、自分かもしれない。
玄はその事に気づいて、気持ちを入れなおした。

二人に負けないように、自分もこれからやるべきことをしようと。
良い結末を信じようと…。


「絶対助けるからね…ちゃん…」


氷の森のずっと上、変わらぬ白い空に、玄は固めた決意を宣言した。




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2009.02.23