雪の花-終・夢主

-雪の花の約束-






「やはり……こうなったか………。」


ふと、後ろに気配を感じると、そう呟く声が聞こえた。


「!!誰だ!…………貴様…。」


反射的に振り返った俺の眼に入ったのは、白髪の男。
長い白髪に、青い瞳。

似ている…。

そう思った時、男は驚くべきことを口にした。


「俺は……兄だ。

「!!兄………だと!?」

「そうだ。」


淡々とした口調で話す男。
確かに外見はよく似ている……事実だろうと思わせる程に。
だが、何処か冷たい冷めた眼をしていると思った。

アイツの兄………ならば……。


「…………では、お前も……?」

「ああ。」

「……だが、だったらどうしてここにいる?
 冬の間しか、行き来できないのではなかったのか?」


雪花精は冬の間以外に人間の世界へ来ることはできない。
という話はから聞いていた、戻ることもできないと……。
だから、はここにいたのだ……。


「その通り。」


男は変わらぬ調子でそう答えると。続けた。


「だから、俺は今年の冬こちらに来た時帰らなかった……。
 が帰ることを拒んだからな。
 お前に恩を返すまでは、この平泉を離れられないと……。」

「…………………」

「だから俺も残った……。これ以上を1人にできないからな……。」


男の言ったことに、俺は言葉を失った。
はこの冬、本来は帰るはずだったのか……。
まったくそんなそぶりは見せなかった、いや、俺が気づかなかっただけなのか……。

アイツがいることに慣れすぎていたから…………。
そして、はそんな理由でここに残っていたのか?

恩……だと?俺に……?

……だから、こんなことを…………。

そう思うと、無性にやるせなくて苛立った。
そして、怒りの矛先が見つからず淡々と話す目の前の男に当たってしまった。
自分が悪いとわかっているのに………。


「だったら……だったら!何故今頃出てきた!何故もっと早く!アイツを助けなかった!!」


男はすっと、息を吸い眼を閉じたが表情は変えずに口を開いた。


「……が、……自分で決めたこと……。
 それに、俺はこのあとのことを頼まれているんでね……。そのために……ここへ来た……。」

「……頼まれている……ことだと?」

「そう、を引き取り。お前の記憶を消す。


きっぱりと口にし、冷たい目を再び開いた。


「なに……。」

「……お前だけじゃないな…。関わった者全てだ。
 俺達の存在、……知られているのは不味いんでね……。」

「……記憶。」

「……の…望みでもある。
 お前が、自分のことを覚えていては辛いだろうと、
 今度のことでも、ずっと自分を責めるんじゃないかと……。
 そうなったら、のやったことの意味がなくなる。
 だから、お前の記憶から自分のこと……消して欲しいとな…。」


男の淡々とした口調に苛立ち、思わず叫んでいた。


「ふざけるな!!
 全て忘れて!俺だけのうのうと生きろというのか!!!」


睨み付けた先の男の表情は冷たいまま…。


「………アイツが、もともとお前を生かすための存在だったんだ。
 そう思えばいい。自身がそれを望んで、それを選んだ……。」

「…………っ!」


俺を生かすための存在だと!
そんな……そんな……俺にはアイツを犠牲にしてまで生きる価値などあるはずはないのに!

ぐっと握り締めた手……。
もうどこに怒りをぶつければいいのかわからなかった……。

だまって顔を伏せた俺に男は近づいてきて、
ゆっくりと俺の頭に手をかざした。


「安心しろ。痛みを伴うわけではない……。すぐに終わる。」

「!?」


このままでは記憶を消される。
アイツのこと…………。
慌てた俺は握り締めていた手を振り上げると、
男の手を思い切りはたいた。


「やめろ!!!」

「…………。」

「俺は……俺は!そんなこと望んではいない!
 アイツの命を犠牲にしてまで生きたくなどなかった!!」

「アイツとて同じだ。
 お前の犠牲の上に残った平泉で生きたくなかったんだ。」


激情し、激しい口調で責める俺に、男は淡々と答える。
冷たい答え。

もう……言葉を紡ぐ気力もなかった。
俺はアイツの気持ち……何一つ理解していなかったのか……。
…………俺は…………。


「………………」

「………………」


互いに口を閉じ、しばらく流れた沈黙。
先に破ったのは男の方だった。


「お前、……アイツが、が……いなくなったこと、そんなに辛いか?」

「……貴様は…なんとも思わんのか。兄なのだろう……?俺が憎くないのか……。」


が消えたのは俺の責任。
そう…責めることもできるはずなのに…。

全く表情を変えず、感情が見えないかにみえた男。
だが、俺がそう言った瞬間、少しほんの少しだけ男の表情が揺れたように見えた。

やはりこいつも何も感じていないわけではないのか…。
ただ、それでも変わらない口調のまま男は答えた。


「……このことはお前のせい・・ではない。」

「………………。」

「お前のため・・だ。」

「…………っ!」


口調は変わらないのに、気持ち抑えたような、
そして、俺を気遣っているのが伝わってくるような気がした。
この男も、辛くないわけないのだ……。
俺が憎くないわけがないのだ……。

だが……それでも…………。

もうどうしていいかわからず、どうでもいいような……。
自分が自分でわからなくなっていた。
どうしてここまで取り乱すのか……。

全ての覚悟ができていたのではないのか!
どんなことが起きても動じないほどの覚悟が!

自分を罵り、気持ちを立たせようとしたが上手くいかず、
目の前が真っ暗になった気さえした。

…そんな時、男は驚く言葉を口にした。


「…………に……会いたいか?」

「……?なん…だと…?」

「アイツは……は死んだわけではない。」

「なんだと!?……しかし……。」

「俺達は元々、平泉の自然や想い……。
 そして雪そのもの…………。自然や思念が失われない限り死ぬことはない。」

「……!!」

「だから、今までのような姿や意識を形作る力がなくなっただけだ。」


アイツは生きているのか!?
だったら…………!
逸る俺の気持ちを察したのか、男はそのまま少し強い口調で続けた。


「だが、は長くこちらに居過ぎた。
 元々の力が弱っていたのだ………難しいかもしれない……。」

「…………。」

「それでも……。」


男は一呼吸おくと、


「それでも、お前が望むなら今一度会わせてやってもいい。
 ……そのあとどうするかは……お前たち次第だ。」


真っ直ぐに俺を見つめてそう言った。
同じだ。冷たい眼だと思っていたが、同じだった。
アイツと、と。真っ直ぐで、穢れない瞳が。
今一度…………。


「………………。」

「……どうする?」


会ったところでどうする気なのか、どうすればいいのか……。
迷っていたのは事実だった。
だが、男の眼を見て思った。今一度……。


「…………頼む。」


俺は搾り出す想いでそう口にしていた。


「いいだろう。」

「俺はどうすればいい?」


俺が尋ねると、男は少し思案した表情をしたが一言。


「…………約束を守れ。」


そう言って、フッと姿を消した。


「!?…………な、どういう……」


「…………約束…?」



***



その後、俺は一先ず屋敷へ戻った。のことは伏せたまま。
俺を襲った連中には口止めをし、は傷を負ったため友人の薬師に預けたことにし、
今はただ、あの男の言った“約束”について考えていた。

だが、記憶のことも気がかりだった。
あの男の口ぶりでは、やはり記憶を消すのが実際の目的だったのだ。
そしてそれは容易なこと、恐らく誰にも気づかれずにできること。

もし記憶を消されたら、俺は何もかも忘れるのだろうか……。
今こうやって考えていることも、アイツのことも全て……。
忘れたことさえ忘れて、生きていくことになるのか……。
俺が“約束”を思い出すことができなければ………………。


“約束”


アイツを忘れるなんて考えられない!
考えたくなどない!
なにより、あんな別れ方で納得できるわけがない!
アイツを傷つけたまま、守れないままで、終わらせるわけにはいかない。
俺はなんとかアイツにもう一度会うため、ずっとそのことを考えていた……。



***



二日過ぎ……三日過ぎ……。時間ばかりが過ぎていった。
だが、どうしても“約束”が何なのかわからなかった。思い出せなかった。

このままで間に合うのか……。
一体いつまで、この記憶を持っていられるのか……。
焦りと苛立ち、己自身のもどかしさで周りに
当り散らしそうになるのを必死に抑えていた。


(………………。)


ふと、呟いた名前。
今は呼んでも返事はない……。
言い知れぬ寂しさが心に広がった。


「…………!」


もう一度名を呼ぶと、今度は庭から返事をするかのように声が聞こえた。
もちろんの声ではない。返事をしたのは金だった。


「ワンワン!」


金の声に誘われるように、俺は久しぶりに庭に出た。


「ワン!ワン!……クゥ〜ン。」


傍に寄ってきた金は、心配そうな顔で俺を見上げ、そして庭を振り向いた。
世話をしていた主不在の庭。
の友人が手入れをしているから、花は咲いていたが何処か寂しそうに見えた。
そんな中、目を引いたのは桜。昔から庭にあった桜。
もう大分花は散って、葉が見え始めている。


「桜もそろそろ終わりですね……。」


不意に現れた銀がポツリとそう口にした。


(……桜)


今も散りゆく桜を見ながら、何故か胸が騒いだ。


(約束ですよ……。)


不意に蘇ったの声。
“約束”。


「!!…………そうか!!」


俺はそう叫ぶと屋敷を飛び出していた。



***



思い出した。


“約束”


それは雪の日、気まぐれにと金に付き合った日に交わした“約束”。



『泰衡様は雪がとけたら何になると思いますか?』


『春に、なるんですよ。』


『今はどんなに寒くても、雪は必ず溶けていきます。』


『春になったら、またここへ来ませんか?今度は花を…あの桜を見に…』


『約束ですよ…。』



あの時はまだ雪原だった野原。
あの時はまだ枯れ木だった桜。
花咲く時季に共に訪れようと、交わした約束。
何故今まで忘れていたのだろう…。


「馬鹿だな……俺は……。」


自嘲気味に笑った。
どうか間に合うように……。
祈るような気持ちであの場所へと急いだ。
もしもあの桜が散っていたら…それこそ終わりなのだろう。
きっと記憶を消されることになる。
言い知れぬ不安……だが、足を止めることはなかった。



***



「……………っ!」


息も絶え絶えに辿り着いたあの地………。
誰も居ない……。

そして桜……屋敷の庭の桜よりも花が少ない……。
もう殆ど葉桜だった。
花開く時季の短い桜……。
そしてこの地は最初に春が訪れ、最初に去っていく場所…
もう間に合わなかったのか……。

がくりと倒れるようにその場に膝をついた。


「………っ!!」


もう返事はない名前。
もう忘れてしまうかもしれない名前。
搾り出すように叫んだ……その時……。


「……泰衡様………?」


聞こえるはずのない、ずっと聞きたかった声が返事をした。

弾かれたように振り向くと、白い影が揺れた。
雪のように白い髪と、氷のように澄んだ瞳。
その氷の眼が大きく見開かれ、そこに俺の姿が映っていた。


「どうし………!」


の言葉が終わるより先に、俺はを抱きしめていた。
その存在が幻ではないと、確かめるために………、
その存在があの時みたいに消えないように………。


……!」


俺が名を呼ぶと、はぼろぼろと涙を流して謝った。


「ごめんなさい……!泰衡様………。」


の流した涙で、足元には白い雪の花が咲いていった。


「何故お前が謝るんだ………謝るのは俺の方だ…!
 すまない…………守ってやれなくて……」


俺がそう言うと、はブンブンと首を振った。


「いえ、私が……もっと他の方法を考えられなかった
 ばかりに泰衡様を傷つけて………」


は俺の胸に顔を埋めると、必死に涙を堪えながら、


「それでも……泰衡様には……生きて……欲しかったんです!!」


それでも、はっきりとそう言った。


「………すまない。」


始めから……命をかけるつもりでいた。
許されないとわかっていることをやろうとしたこと、
……そのことについての責任を取るためにも……。

だが、失われて初めて気づくと痛みや傷もあるのだと……。

感情で動くのは愚かな行為だと思っていた。
だがコイツを失い、自分の感情の揺らぎに自分で驚いていた。
こんなことになるのなら……と、自分の行動を後悔した。
どんなことになろうとも、何を犠牲にしても、辿り着く理想のためなら構わないと思っていたのに……。

結局それは、自ら責任をとることで正当化しようとしたに過ぎなかったのか………。


『もっと他の方法を……』


の言葉が木霊した。
間違いはないと信じていた自分の道だが、
もしかしたらもっと他に方法があったかもしれない
……そう父上のように。

相変わらず冷たいの体。
だが、そこにいる安堵と幸福で心は暖かかった。


……もうどこへも行くな…………ずっと…俺の傍にいろ……。」


決して長い期間ではなかった。
だが、共に居た時の安らぎと幸福…
そして、それより短かったはずの失った時間は永遠よりも長い恐怖と孤独。
どちらも今まで感じたことのない感情、感じていても気づかないふりをしていたものだったかもしれない。

感情に左右されていては立っていることはできなかった環境故に。
そんな時に一つ見つけた暖かいもの。決して失いたくないと初めて思った。
もう二度と……。

こんなことを望むこと……俺には許されないかもしれないが離したくないと、そう思った……。


「泰衡様……。」


名を呼ばれ、俺が少しだけ腕の力を緩めるとは少し俺から身体を離した。
よく見ると真っ赤になって困ったような顔をしていた。


「………っ、、」

「「!」」


俺が次の言葉を紡ごうとした時、
ふっと風が吹いて葉桜だった桜、そして野原に花が咲いた。


「「………………。」」


突然の出来事で、二人呆気に取られていたが、
はふと笑顔になると、


「泰衡様、一緒に桜を見る約束……守ってくれてありがとうございます!」


そう言った。真っ直ぐ俺の眼を見て……。
初めて会った時からそうだった。

そんな笑顔を前に、俺も遠い昔に忘れた笑顔になっていたかもしれない…。

今はただ、約束通り共にこの地でこの景色を
目に出来た幸せに浸るのも悪くはない……か……。



***



「やれやれ………。」


少し離れた場所から二人を見守っていた影が安堵の息をついた。


「これで、約束果たせたな……。

 雪花精は雪花の精だと思っている者が多く、

 雪がメインだと思っているかもしれないが……雪花の精なんだぜ……。」


ふっと息をつくと、ゆっくりと手を上げた。











「雪がとけて春になり、春に花が咲くのは、我々の力……。
 まあ、“花遥の風”かようのかぜは秘術……使えるのは、俺ぐらいなものだがな…。」


ふわっと優しい風が吹き、野原に流れた。
先の風は彼の仕業だったようだ………。

妹の幸せそうな笑顔を目にした兄は、そう呟いて微笑んだ………。

















2008.12.18