雪の花-終・神子

-雪の花は夢路の中へ-






「泰衡さん!泰衡さん!」

「………う」

気が付くと、目の前に神子殿がいた。


「神子殿?何故ここに?」

「よかった〜。心配しましたよ。」


俺が声をかけると、神子殿はホッと胸を撫で下ろし、安心したように息をついた。


「なんだが嫌な予感がして…そしたら、金が来て、
 着いてきたら泰衡さんが倒れてるから…でも、どこも怪我をしていないみたいだし!安心しました!」


そしてそう言って、にこっと笑顔を見せた。


(……怪我?……倒れていた?……俺はここで何を?)


記憶が飛んだような不思議な感覚。

俺はここで何をしていた…?

今神子殿がいることも、自分がいることも、理由がさっぱり思いつかない。

第一ここは何処だ…?
俺は何故ここにいる…?

わけが分からず首を傾げてしばらく考えていると、伽羅御所の者達がやってきた。


「泰衡様!薬師を連れてきましたぜ。」

「本当に申し訳ありませんでした!」


俺に頭を下げてそう謝罪の言葉を口にした。
まだはっきりした意識はないが…


(…そうか、無量光院へ行く途中に…襲われた………?)


思い当たることが少し脳裏を掠めた、
…だが、なにかおかしい…。

襲われたはずなのにどこにも痛みはなく、怪我をしている様子もなかった。


「泰衡さん?」


立ち上がった俺に神子殿が不思議そうに声をかけてきたが、
俺は一先ず薬師や伽羅御所の者を帰させ、自分も屋敷へ戻ることにした。


「俺は屋敷に戻る。…仕事の途中だ。」


神子殿にはそう返事をして…。
すると神子殿は遠慮がちに口を開き、思いがけないことを言った。


「…あの、泰衡さん…私、帰るのもう少しあとにしようかと思うんですけど…。」


驚いた俺が振り返り、目が合うと、


「まだ、もう少し…この平泉でゆっくりしたいな…なんて…。」


苦笑いのような顔で神子殿はそう言った。


「…好きにしろ。高館は好きに使って構わん。必要なものがあれば、銀に言えばいい。」

「…ありがとう!泰衡さん!」


俺は少し迷ったが、了解の意を口にし、
それを聞いて神子殿は嬉しそうな顔で礼を言った。



***



それからしばらく忙しい日が続いた。

あの時のこと、何も思い出せぬまま…ただ単調に日々が過ぎていた。
なにも変わったことはないはずなのに、何故かもの足りたいような感覚。

そんなふうに感じていたある日…。


「泰衡さん!」


屋敷の前で神子殿に会った。


「神子殿か…なにか?」

「今日、今から時間ありますか?」

「………」

「た、たまには外に出て、息抜きするのもいいですよ?」


神子殿は俺の顔を見ると遠慮がちにそう言ってきた。
普段なら受けることはしないだろう。
互いに忙しい身だ。

だが…



「…息抜きか…いいだろう。」

「よかった…!じゃあ行きましょう!」


俺は神子殿に誘われるままに屋敷を後にした。



***



やってきた先は野原。


「前に、泰衡さんに花を貰ったから、そのお礼です。」


野の花が咲いた野原を見て神子殿はそう言った。


「…野の花か。」

「え?」

「いや、なんでもない。」


銀が前に言っていたことを思い出した。


『可憐な野の花の清らかさをお持ちかと…。』


あの時は、雑草と馬鹿にしたが、
今は神子殿の清らかさに救われたような気がしていた。
なにがと言うわけではないが、曇っていた気持ちが晴れたような…。


「………それで、神子殿はいつまでこちらに?」


少し皮肉を込めたような言い方をし、神子殿に尋ねた。
すると神子殿は意外な返事をした。


「えっと…実は残ろうかと思っている所なんです。」


「…残る…?ここにか?」


「はい。ここに、平泉に、いたいって思うようになってきたから…。」


そう言って笑った神子殿。
今まで気にしていなかったが、少し興味を持った瞬間だった。


「泰衡さんは私が平泉に残ったら迷惑ですか?」


だから、神子殿のそのような問いに、以外にも好意的な返事ができた。

まあ、社交辞令とも取れる返事だったし、そう言う以外にはなかったのだが。


「…いや、歓迎しよう。」

「本当ですか!?」

「ああ…銀も喜ぶだろう。」

「…………」


俺の言葉に神子殿は少し複雑な顔をしたが野原の方へ向き直り、
野原中央の桜に目をやった。


「綺麗ですね。桜。」

「……ああ。」

「平泉は冬の雪とか春の花とか綺麗なものがいっぱいですね。」


桜を眺めながら神子殿は何気なく呟く。
俺も桜を眺め、神子殿の今の言葉を心の中で復唱したが…
何故かチクリと胸が痛んだ。


(………雪?)


何か……なんだ…?


「あれ?」


違和感を感じた自分の感情に、俺が首をかしげていると、
ふいに神子殿が何かを見つけ駆け出した。


「どうした?」

「綺麗…見たことないですけど…この花。」



見れば、桜の根元に花が咲いている。
雪のように白い花…。



(…………泰衡様)



「………っ!」


その花を目にした瞬間何か聞こえた気がした、……声が。


「泰衡さん?どうかしたんですか?」

「いや、なんでもない…。」


微かに聞こえた気がした声、
だが神子殿の声にそれはすぐに掻き消え、俺の心からも消えた。

何か引っかかった気がしたが…考えることを心が拒んでいる…。


「綺麗ですね…この花。」


神子殿の言葉にもう一度花に目をやると、何故か花が笑ったような気がした。




***



「そろそろ帰るぞ。」

「あ、待って下さいよ!泰衡さん!」


(泰衡様…どうか…この平泉で…生きて、幸せに……なってくださいね…)



泰衡様と神子殿が去った後…

小さな白い雪の花は少女の願いと共に、平泉に溶けた。














エピローグ



2008.12.05