-花雪の舞-後編




「……お前…何してる…。」


不機嫌そうな声。
飛び出したをかろうじて受け止め、安堵のため息をついたが、
すぐまたいつもの調子に戻ってきつい口調でそう言った。


「も、申し訳ありません…泰衡様……。」


は体勢を立て直すと、そっと泰衡様から離れ頭を下げて謝った。
泰衡様は普段着のままのの姿を見ると厳しい表情で尋ねた。


「お前、舞はどうしたんだ?何故神子殿が舞っている?」

「…申し訳ありません…。」

「まさかこの期に及んでやめたわけではあるまいな。」


不機嫌そうな泰衡様の声。かなりご立腹のようだ。
自分の責任だとは落ち込んだが、実は、ここまでくる途中、
神子様が先に舞った事で、に対する中傷が絶えなかったことが原因なのだ。

神子様の直前で怖気づいたのだろう。とか、
または所詮その程度の舞手なのだろう。とか…、

に限ってそんなことはあるはずはないと思っていても、絶え間ない中傷に苛立っていた。
そこで仕方なく様子を見に舞台裏までやってきたが、出てきたがいつもの姿のまま、
準備もしていないのでさすがに少し苛立ち、きつい口調であたってしまった。

だが、表情を曇らせたになにかあると感じた泰衡様は語気を緩めると、もう一度問いかけた。


「何があったんだ?」

「………」


言いよどんだだったが、有無を言わせぬ泰衡様の態度にしぶしぶ事情を説明した。

の話を聞くと、泰衡様はますます顔をしかめた。


「…では、扇が見当たらずやむなく神子殿が先に舞ったというわけか…。」

「……はい。」

「だが、これ以上待つことはできんぞ。神子殿が終わったら次はお前の番だ。」

「………はい、わかっています。
 これ以上お待たせするわけにはいきませんし、今更やめるわけにも…。
 皆さんが戻ってこれなくても、次は舞います。」


不安そうな顔をしていたが、最後はきっぱりとそう言い放ったに、
泰衡様は少し驚いたが、の真っ直ぐな目を見ると満足げに笑った。


「…で、扇はどうする気だ?」

「あ…それは…。」


は少し困った顔をしたが、
思い出したように舞台裏を振り返ると、


「夏美さんが、貸してくれましたよ。」


がにっこり笑ってそういうと、
泰衡様はまた険しい顔になり、呟いた。


「あの女か…。」

「え?」

「先に舞った舞手と同じ扇で舞うのは好ましくない。」


泰衡様はそう言うと、懐から一枚の扇を取り出しに渡した。


「…これは?」

「………屋敷に…あったものだ…お前にやろう…。」


は扇を受け取り、広げてみた。


「わぁ…!」


広げた扇に描かれていたのは『雪の結晶』精巧で端整なそれは見目美しい扇だった。

そして、雪の結晶の描かれた透き通るように美しいその扇は
まるで誂えたかのようにに良く似合っていた。


「……綺麗。」

「気に入ったか?」


の反応に、泰衡様は満足したように口を開いた。


「はい!……あ、で、でも、本当に宜しいのですか?」

「構わん。間に合わなかったら…それで舞えばいい……。」

「……っ!ありがとうございます!泰衡様!!」


は扇を抱きしめると、本当に嬉しそうな顔をして御礼を言った。
泰衡様も微かに微笑み、口を開きかけたが…。


…」

「あ!ちゃん!扇見つかったの?」


舞を終えた神子様が舞台裏に戻ってきた。
話を遮られた泰衡様は不機嫌そうな顔で神子様を睨み付けた。


「神子様、いえ…これは違います。
 空さんと朔さんが探しに行って下さったんですけど…。
 すみません、神子様…舞を拝見できなくて…。」

「いいのよ、今回は仕方がないわ。
 それに、ちゃんのためだったらまたいくらでも舞うし

「ありがとうございます。」


申し訳なさそうに謝っただったが、
神子様の笑顔を見て、ホッと安心した顔になった。


「それで、じゃあまだ扇は見つかってないのね?」

「はい、これは泰衡様が下さったのです。」


嬉しそうにそう言ったの言葉に、神子様は驚いた顔をしたが、
楽しそうに笑って泰衡様を見た。


「へ〜、そうなの。泰衡さんが…。」

「何が言いたい…。」


反対に泰衡様は不機嫌極まりない顔をしている。


「いえ、別に何も。
 それにしても、素敵ねその扇。ちゃんにぴったり!それで舞うのね?」

「…はい、間に合わない時は…。」


は少し躊躇ったが、やはりもうあまり時間はない。
ざわつき始めた気配を感じて、泰衡様が口を開いた。


、そろそろ限界だ。舞台へ出ろ。」

「あ…は、はい。」


泰衡様に言われえて、慌てて行こうとしただったが、
神子様があることに気付いて引き止めた。


「ちょっと待って!
 ちゃん、舞台衣装は?そのままで出るの?」

「あ……。」


扇を探しに外へ出るつもりだったので、衣装も化粧も全て落としてしまったのだ。
さっきしてくれた琴さんたちもいないし、今から準備している時間はない。
神子様に言われて、気付いたはちょっと困った顔で泰衡様を見た。
泰衡様は目が会うと少し思案したが、


「構わん、そのまま出ろ。」


と短く言った。
でも…、と言いたげに神子様は泰衡様を見たが、
泰衡様は神子様とは視線を合わせず、背を向けると、


「お前はそのままで十分だ…。」


ぽつりとそういって、舞台裏を出て行った。
泰衡様の言葉に神子殿は驚き目を丸くしたが、
は嬉しそうに笑うとそのまま舞台へ出て行った。



***



が舞台へ出て行くと、ますます会場が騒がしくなった。
今まで舞を舞った銀、夏美、そして神子様。
みんなきちんと正装し、外見だけでもそれなりの舞手とわかる人物ばかりだった。
それが、は私服のままの幼い少女で、それも神子様の次でとりを勤めるのに…。
会場の冷たい視線には思わず顔を伏せた。
視線を下ろした先には、泰衡様に頂いた扇が…。


(……空さん)


泰衡様に扇を頂いたことは本当に嬉しいが、
やはり空の扇を無くしてしまった事がの心を曇らせていた。


(くれぐれも藤原の名を汚すことのない舞を見せろ)


泰衡様の言葉が頭を過ぎった。
やはり自分にはこのような場所で舞う資格などないのかもしれない…。
が不安と恐怖で思わず目を閉じた…その時、


!」


澄んだ声が名前を呼んだ。
弾かれたように顔を上げたの目についたのは、
客席の一番後ろで必死に手を振っている、空、琴、朔の三人だった。
後ろには涼と宵の姿もあった。二人も探してくれたのだろう。
そして空の手には…空色の扇が…。


「!!」

(見つけたよーー!!)


声には出さず、口で伝える空。
琴と朔、涼と宵も必死で合図を送っている。


(空さん、琴さん、朔様……涼さん、宵さん…。)


五人の方を見て、にこっと笑ったに、五人も笑顔になった。
そして、手を振り上げぐっとガッツポーズを見せた。
がんばって!五人がそう言っているのが聞こえてくる気がした。


(ありがとうございます……)


軽く頭を下げて心の中でお礼を言った。
頭を下げたが次に目に付いたのは、舞台手前にいた神子様と八葉の方々。
と目が合うと、神子様はにっこりと優しい笑顔を見せてくれた。
不安だった心もすっと晴れるようだ。


やっと心の晴れたはすっと、扇を前にし舞う姿勢を取った。
舞台手前の神子様、客席奥の空さんたち、そして……。


銀、御館様、ふと目が合ったのは泰衡様。
じっとを見つめていて、目が合うと微かに微笑んでくれた。
泰衡様の優しい眼差しにがにっこり笑うと、客席もしんと静まり返った。

そして静まり返った中、の耳に入ってきたのは、

       

あの音だった。


(兄様……。)


本当にたくさんの人たちが見守っていてくれている…。
その気持ちが嬉しかった、幸せだった。

はすっと目を閉じ、口を開いた。





冷たい空 ヒラリと舞うよ雪の花びら

儚く消える美しさ

心に灯るは 暖かな光



冷たい風 フワリと舞うは雪の花

時は来たりて 暖かな季節

雪の花は真の花に





すっと澄み切ったの声。
自然の中に溶けていくようだった。

が詠った詩は予定していた母の詩ではなかった。
今思いついた、心に宿ったの気持ちだった。

見守ってくれている大切な方達のお陰で心に宿ったの詩だった。
ざわついていた客席もみなの詩と舞いに目を奪われて誰もが言葉を失った。


そして……。


「あ、……雪?」


が舞っている舞台に、そして客席に、平泉に雪が降っていた。


「これは…花雪?」


美しい雪の結晶。雪の花。
舞台のを惹き立てるように雪が舞っていた。





季節は流れ移ろうけれど

変わらぬ想いは 永遠の花



降り積もる雪のように

募る愛しさ 暖かく

白き想いは色づいて

願いはいつも一つだけ

愛しい貴方の幸福を・・・





は目を閉じたまま。唄い、舞っていた。
その姿は本当に美しく誰かがポツリと呟いた。


「雪の舞姫…。」


同時には舞を終え、ゆっくり目をあけた。
しんと静まり返った客席、みなが自分を見ていては慌てて頭を下げた。
そして顔を上げると、照れたように微笑んだ。


「よ!サイコー!」

「すごいよ!ちゃん!」


声を上げたのは将臣殿と神子様。
そして、神子様たちが拍手をしてくれ、それは全体に広がった。

集まった人たちの迫力に圧倒され、困ったは泰衡様に視線を向けた。
の視線に気づくと、泰衡様はため息をつき舞台裏のほうを指差した。
はもう一度頭を下げると、慌てて舞台裏に引っ込んでいった。



***





「あ、や、泰衡様…。」


舞台裏に戻ると、泰衡様が待っていてくれた。
泰衡様の顔を見て、がほっと安心したように息をつくと、
泰衡様はくしゃっとの頭をなで、


「よくやった。」


と、一言呟いた。
少し驚いたようにが顔を上げると、泰衡様は優しい眼差しでを見つめていた。
そんな泰衡様の様子が嬉しくて、自然と笑顔になったは、


「はい!ありがとうございます!」


と、元気よく返事した。
の笑顔に満足した泰衡様は頭に置いていた手をそっと下ろし、の髪を撫でた。
ふわっと揺れたの白い髪は、外で舞っている雪よりも美しく、
触れた感触は冷たくとも、心には暖かいものが灯るのを感じる。

じっと真っ直ぐ自分を見つめる澄んだの瞳に誘われるように
泰衡様が口を開きかけた時…。


ちゃ〜んvv


バン!っと舞台裏の戸が開かれた。

慌てて泰衡様が、から手を離し離れると、
入ってきた神子様がそのままを抱きしめた。


「すっごくよかった!綺麗だった!感動したよ〜!!」


賞賛の言葉を並べ、ぎゅーと力を入れて抱きしめる神子様に、
が困ったように声を上げた。


「…神子様……苦しいです…;」

「あ、ごめん…;」


慌てて離れた神子様に、はにっこり笑いかけた。


「でも、本当に素晴らしかったわ。」

「雪の姫君の舞がここまでとは思わなかったよ。」

「ええ、本当に美しい舞でしたよ。」


口々に褒める皆には照れ笑いをしたが、


「みなさんのお陰です。」


と言うと、お礼の言葉と共に深々と頭を下げた。


「そんな……私達は何もしていない、貴方の力だ。」

「そうですよ、あんな大勢の前で…立派だったよ。」

「そうそう!望美よりよかったぜ♪」

「将臣君!」

「はははっ!」

「特に最後の方で雪が降ってきた時!あれは本当に綺麗だったよ

「ああ、そうだな。」

「雪?」


が驚いて尋ねた時、リズ先生が口を開いた。


「噂に聞いた、雪の精の舞のようだった。」

「雪の精?」


神子様がリズ先生に尋ね返した時、はギクリと体を振るわせた。


「うむ。春を呼ぶ雪を降らせる舞を舞うと言う伝承がある。」

「へ〜。」

「ぴったりだね、麗しい雪の舞姫?」


リズ先生の言葉にヒノエ殿がにパチッと片目を閉じて見せ、
はどう返事してよいものかと狼狽し、助けを求めるように泰衡様を見た。
が、ものすごく不機嫌な顔をしている泰衡様にはさらに慌てた。


「あ……あの、泰衡様?」

「…なんだ。」

「あ、いえ…その…;;;」


さっきまでは優しい表情をしていたのに、今はなんと言うか…ものすごく怖い顔をしている…。
すっかり困っているに、思い出したように声をかけたのは朔殿。


「そういえば、さん!扇見つけたのよ、今は持ち主の彼女が持っているわ。」

「あ!そうでした!朔様、ありがとうございました!」


朔殿の台詞には慌てて頭を下げてお礼を言った。


「私は何もしていないわ。貴方の友人のあの子が一生懸命だったのよ。」

「はい、空さんには本当に申し訳なく思っています。」


がしゅんと落ち込むと朔殿は笑って続けた。


「でも、彼女。貴方が舞ってくれてよかったって喜んでいたわ。
 それに、その扇の方が貴方に似合っているし、これはこれでよかったって。」

「そう…なんですか?」

「ええ。」


朔殿がにっこり笑って頷くと、もやっと笑った。
の笑顔を見てほっとみんな安堵の息を漏らした。
すっかり責任を感じ落ち込んでいたのこと、みんな心配してくれていたのだ。


「それにしても…」


ヒノエ殿はに近づくと、扇を持っている方のの手を取り、


「本当にこの扇は雪の姫君によく似合っているね。姫君の魅力を引き立てているよ。」


そう言って口付けた。


「!!」

「あ…ありがとうございます…///


は困ったような顔で赤くなってお礼を言い、


「この扇は泰衡様が…!」


言葉を続けたが、途中でさえぎられた。


「?」

「余計なことを言うな…;」


何故か慌てる泰衡様、が不思議そうな顔で振り返ると微かに顔が赤い。
泰衡様はの手を取りさっさと場を離れようとしたが…。


「ヒ・ノ・エ君あの扇は泰衡さんからのプレゼントなんだよ


神子様がヒノエ殿の耳元で囁いた。


「ぷれぜんと?」

「贈り物ってこと。」

「おや、泰衡殿がですか…。」


神子様の言葉に皆驚き、弁慶殿が意地の悪い笑みを浮かべた。
泰衡様は一瞬固まったが、今後の展開が見えているのか、無視して行こうとした。
…が、神子様一行が許すはずもなく…。


「そういえば、この前町で見かけましたね。
 非常に珍しいことですので、覚えていましたが…あの時に…。」

「え?」


弁慶殿はにっこり笑顔でそう言った。
弁慶殿の言葉に驚いたのはだ。
泰衡様は、『扇は屋敷にあったもの』と言ったのに…?


「実は後をつけていたんですが…かなり不審でしたからね…。
 ああいう店には似つかわしくないですし。目立ちますし。」


ブツブツと結構ひどいことをあっさり言う弁慶殿。
神子様はその言葉を聞いて、やっぱりわざわざ用意したのだと納得した。
『屋敷にあった』にしては、あまりにも丁度良すぎる。
素直ではないが、精一杯の好意と誠意。神子様は微笑ましく思った。


「あの…泰衡様…。」


が申し訳なさそうに口を開いたので、泰衡様はの手を強く握り締めると、
有無を言わさぬ口調で、


「もう、用件は済んだだろう…神子殿。
 後は好きに祭りを見ていけば良い。俺達はもう行く。」


そう言って、今度こそ振り返らずにその場を去った。
を連れたまま…。


「あ〜もう行っちゃいましたね…泰衡さん…。」

「少しからかい過ぎましたか?」

「まだそんなに言ってないけど?」


泰衡様たちが去った後、まだ遊び足りなかったとでも言うように、
神子様、弁慶殿、ヒノエ殿がそう言ったが、


「?何のことだ?泰衡の奴は忙しいんだろう。」


きょとんとした表情で九郎殿が呟いた。


「九郎、貴方は本当に素直ですね…。」

「今言っていたこと何一つわかってないんだろうな…。」

「何がだ?」

「なんでもないですよ。」


九郎殿の言葉に半ば呆れつつも、そんな九郎殿の素直さに皆微笑んだ。


「さて!じゃあ!お祭り楽しみましょうか!」


神子様がそう言って、一行は祭りの会場へと向かっていった。



***



「泰衡様…。」

「なんだ。」


神子様達の場所を後にし、泰衡様と歩いていたが口を開いた。


「あの…この扇…わざわざ用意して下さったのですか?」


申し訳なさそうにそう言ったに、泰衡様は小さくため息をついた。
確かに、慣れない店にわざわざ探しに行き、思うものがなくて作らせたもの。
だが、そのことを言えばが気に病むと思い黙っていたのだ。
それなのに…。


(……余計なことを)


いつも何かと厄介なことになる原因を思い浮かべ、泰衡様は顔をしかめた。


「……お前に舞を強要したのは俺だ、気にするな。せめてもの侘びだ。」

「…………」


とにかく、の気を少しでも和らげるためにできるだけ優しい口調で言った。
それに言った言葉も事実だし、なによりその扇でが舞う姿が見たかったのだ。
少しの間沈黙した。気になった泰衡様が振り返ると、


「…ありがとうございます、泰衡様。大切にしますね。」


予想に反し、は可愛らしい笑顔を見せた。
恐縮し、申し訳なく思っているのは事実だろうが、もう貰ったもの、
謝るよりも、感謝の言葉の方が良いと判断したのだろう。

の笑顔を見て、泰衡様も自然と顔が緩んだ。
そんな泰衡様の表情を見ては、


「お礼に今度は、泰衡様のために舞います。今よりもっと上手くなったら…。」


少し照れたように赤くなってそんなことを言った。
の言葉、表情に驚いた泰衡様だったが、つられた様に赤くなると、


「………楽しみにしていよう…///


搾り出すように、ポツリとそれだけ言った。




いつかきっと、近い未来、愛しい貴方のために心からの舞を…。













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2009.06.26