-月夜の誓い-
長い一日もやっと終わった。 を連れ帰るとすぐに薬師を呼んで傷の手当てをした。 幸い傷は大したことはなく、二三日で癒えるだろうとの事だ。 自身平気だと言い張りそのあとはいつも通り仕事についた。 一日屋敷を空けていたことを友人達に散々責められていたが、なんとか誤魔化したようだ。 の正体のことも、他言する必要もない。俺もその様子を確かめたあと、通常通り仕事に戻った。 そして、今は銀とも別れ一人部屋に向かっていた。 すると庭に白い影が見えた。 「か?」 名を呼ぶと俺の方を振り向き、にっこりと笑った。 「泰衡様、お疲れさまです。」 「ああ。」 いつも通りの柔らかい笑顔に安堵のため息が漏れた。 もう平気なのか…。 俺も庭に下り、の隣に行くと、は真っすぐ俺の方へ向き直ると深々と頭を下げた。 「ありがとうございました…泰衡様…。」 今日のことについて、心からの感謝の言葉だろう。 先のあの時は謝ってばかりだっただったが、最後は感謝の言葉でしめた。 「顔を上げろ……お前のその言葉はもう聞き飽きた。」 ぽつりと言った俺の言葉には顔を上げ、俺の顔を見るとにっこり笑った。 今のこいつには皮肉も通じないらしい…心底嬉しそうな顔に俺の方が動揺しそうだ…。 話題を変えようと俺の方から口を開いた。 「なにをしていた?」 はすっと目線を空に戻すと、 「星と…月を見ていたんです…。」 「?」 はゆっくりと口を開いて話を続けた。 「私たち雪花精の住む『雪の国』には夜はないんです。」 突然自分のこと、故郷のことを話し始めたに少し驚いたが、 俺は静かに耳を傾けた。 「刻限として夜はありますが、空はずっと白いままで 朝も夜も空は白くて、朝はその白い空から日の光が微かに漏れて、夜より少し明るい…。そんな世界です。」 「……興味深いな。」 ぽつりと感想を漏らした俺をは振り返り微かに笑うと続けた。 「はい、私も逆にこちらの暗い夜は興味深いです。 最初は少し恐かったんですけど…星や月の美しさにこの暗い夜も好きだと思うようになっていたんです。 でも……。」 そこまで話すとは少し言葉に詰まった。 辛そうな表情をし、ここからの話が今日のことにかかるであろう事を思わせた。 無理に聞き出す気はないが、が話すと決めたなら…それに吐き出した方が楽なこともある。 俺はおとなしくの次の言葉を待った。 「でも……あの暗い部屋に閉じ込められてから…暗い夜が恐くなりました。 星や月の存在も忘れて…ただ真っ暗な闇だけがあるような気がして…。」 「…………」 そうか…それであの時、蔵に閉じ込められた時、 あれ程取り乱したのだな…。 震えているの肩にそっと手をかけると、はゆっくり顔を上げた。 「でも、今はこうして暗い夜の空を見ることができて、 もう一度…美しい星や月を見ることができて……泰衡様の…お陰です。」 にっこりと微笑んでそう言ったがたまらなく愛しいと思った、 もう二度とあんな目には合わせまいと心に誓い、 そっとの髪に手が触れた時袖口から何かが零れ落ちた。 「…あ、これは…。」 がかがみこみ拾い上げたのはあの耳飾りだった。 「泰衡様が持っていて下さったんですか?」 「…あ、ああ。」 「ありがとうございます、泰衡様。」 はそう言うと左の耳に耳飾りをつけた。 なんとなく居心地が悪くなった俺は少しから離れ縁側に腰掛けると、耳飾りの事をに聞いた。 を探していた時にあった不思議なことと、あの音について…。 音のことを話すと、は嬉しそうな顔をして 「きっと兄様が助けてくれたんです!」 と言った。 「……お前、兄がいるのか?」 「はい、七つ年上の兄様です。」 それからは兄のことを語った。名は『』と言うらしい。 両親は今はいないにとってはただ一人の肉親だそうだ。 そして、なぜ自分がこの平泉にいるのかと言うこと、 あの男に捕えられるまではどのように過ごしていたのか、 あの男に捕えられた理由と逃げ出せた理由。 もう今は隠すことはないのか、俺が聞いたことにも素直に答えた。 雪花精のことについても、実に興味深いことだったが、 なにより今はのこと、しっかり聞いておきたいと思った。 今日のようなことが二度とおきぬように。 雪花精のことを話す時は少し話すのを躊躇うようだが、 やはり人間に話すのは良くない事なのだろうか…。 そのことを尋ねると、は慌てて 「言ってはいけないことだったんでしょうか…;」 と言った。どうやら違うようだ。 俺は口外するようなことはないから安心しろ、 と言うとほっと胸を撫で下ろした。そして、続きを話し始めた。 「雪花精は冬の間に務めを果たして、 そのまま冬の間に雪の国へ帰らなければならないのです。 そうしないと、気候の変化に耐え切れず消滅することもあるのです。」 「お前が暑さに弱かったのはそのためか。」 「はい。」 「そして、気候の変化に一年間耐えることができれば次の冬、雪の国へ戻ると…。」 「はい。」 淡々と俺の言葉に答えただったが、俺はの言葉に胸がズキリと痛んだ。 (気候の変化に一年間耐えることができたら) ……それはつまり…。 「お前は…」 「はい?」 「お前も次の冬に…雪の国へ帰るのか…?」 「え……。」 俺の言葉にが動きを止めた。 じっと瞳を見つめると俺の言わんとしたことを理解したのかは目を伏せた。 「「…………」」 長い沈黙だった。 沈黙は肯定の意味だとよく言われるが、今はそうだとは思いたくなかった。 長い沈黙、重い空気の中、ゆっくりが口を開いた。 「……まだ…わかりません…。」 絞りだすような小さな声だった。 「私の体が保たなければ…帰らなければなりません。」 確かにそうだ。無理をすれば命にかかわることなのだ。 こいつを帰したくないと言うのは俺の利己心だ。 そのためにこいつを危険な目にあわせるなど…。 「それに…。」 は躊躇いがちに口を開いた。 「…兄に会いたいか?」 「…はい。」 俺が続きを言うと素直に頷いた。 ただ一人の肉親。会いたいと思うのは当然か…。 この様子だと帰る方が有力のようだ…。 どうすることもできないのか…? 「………」 俺が押し黙っていると、が口を開いた。 「あの、でも!泰衡様にご迷惑をかけたことや 助けて頂いた恩義をお返しできるまではここにいさせて下さい!」 真剣な表情でじっと俺の目を見てそう言った。 「…フ、ならばまだ当分帰ることはできんな。」 俺が意地悪く笑ってそう言うと、 はきょとんとした表情で俺を見たので、俺は言葉を続けた。 「前に俺の湯呑みを落として壊しただろう?」 「う…」 「それから転んで障子を破いたり…」 「うう…」 「あと…洗濯していた着物を風で飛ばしたり…」 「……すみません。」 上げ列ねればきりがないの失態を次々に並べると、 は小さくなってしゅんとうなだれ謝った。 その様子に吹き出しそうになるのを必死に堪えながら話を続けた。 「まだまだある、こんな様子では帰るのは容易ではないな…。 まあ、まだ時間はある……それまではここにいて精々努力しろ。」 申し訳なさそうに顔を上げただったが、 俺の顔を見ると何故か嬉しそうな顔をした。 「?」 そして、 「…はい、がんばります!」 そう言って笑った。 「……では、そろそろ休め。まだ体は癒えていないはずだ。」 手当てはしたがすぐ仕事に戻ったのだ。 結局全く休んでいないということになる。 いくら本人は平気でも身体の方がもたなくなるかもしれない。 「はい、ありがとうございます。お休みなさい。」 は頭を下げると俺に背を向け部屋に戻ろうとした。 去っていく後ろ姿…一抹の不安に駆られ、俺はを呼び止めていた。 「!」 「!………?」 は振り返ると不思議そうな顔で俺を見た。 「…もし、もしも…帰ることになっても… 何も言わずに、勝手にいなくなるような事は許さんぞ。」 「………はい!」 は一瞬驚いていたようだが、 最後にはパッと花が咲いたような笑顔で返事した。 いろいろあった大変な一日だったが、終り良ければ全て良し。 一日の最後、この笑顔と約束が今日を締めるなら良い日だったと言えるだろう…。 が去っていった後、ふと空に目をやった。 月は今日は満月だった。 日頃はさして気にもせず、何か感じることもない月だが、今日は美しいと思った。 たまにはこうして月を愛でるのも悪くはない…か。 俺はしばらくその場で満月の月夜を眺めていた。 戻る 2007.08.08
長かった本編のシリアルストーリー!これで完結です!
いや…;完結と言うか、一先ずこれはこれで?(笑) この話は別に十四話でもよかったのですが、短編に入れました。 主人公の過去と身の上と、正体についてはこれではっきりしたことでしょう! ちなみに主人公が受け取った耳飾。 「左耳につけた」とありますが、主人公の耳飾って片方だけなんです。 もう片方は実は兄様がつけていて、二人で一つなんですよ♪ 余談です…(笑) |