「泰衡様と…お話している時は…やっぱり少し疲れます…。」


たまたま通り掛かった時、聞こえたのはそんな言葉…。





-きみとの距離は-




別にそんな愚痴は珍しくはない。
立場もさることながら、わざわざ従者相手に気をつかったり等しない泰衡様。

そんな風に感じているものは少なくないだろう。
周りがどう思おうが、泰衡様もまた、気になどしていなかった。

……だが、今その言葉を聞いて、泰衡様は言葉を失い。
深く傷ついた。

それは…。


ちゃんもそうなんだ。」

「でも仕方ないよね〜。」

「はい…。」


その言葉を口にした相手故だった…。


泰衡様が唯一気をつかっていると言ってもいい人物。
泰衡様が唯一自分から話をすることもある相手。

他の誰にどう思われようがどうでも良いが…彼女にだけは…。


『泰衡様と…お話している時は…やっぱり少し疲れます…。』


が口にした言葉が頭の中に木霊した。


(……は俺と話をするのは疲れると思っている…のか…)


目の前が真っ暗になりそうだ…。

泰衡様はぐっと髪をかき上げ頭を抱えた。

確かに自身が口下手、というか話すのが苦手であることは自覚している。
必要なこと以外を口にすることは少ないし、会話も長くは続かない。
銀のように、相手を喜ばせるような言葉も口にはできない。

だが…それでも…。

いつも笑顔で自分の話を聞いてくれると話すのは…、
人と話をすることが好きではない泰衡様でも一時、気の休まるもので、
も決して自分と話すのを嫌ではないと思ってくれていると思っていたのに…。

いつも真っ直ぐ顔を見て、優しい笑顔で話してくれていたのに…。
あれは嘘だったのだろうか…。

酷く落ち込み、掻き乱されたような心を抱えたまま、泰衡様はその場を離れた。

もうこれ以上、話を聞いていることなどできなかったのだ…。



***



「…如何なさいました…?…泰衡様…」


少し席を外し、戻ってきた泰衡様の雰囲気に、銀は少し驚いたように声をかけた。

仏頂面なのはいつものこと、機嫌悪い雰囲気も、
別に珍しいことではないが、今の泰衡様は不機嫌、というよりも落ち込んでいるように感じた。


「泰衡様…?」

「………別に…何でもない…。」


再度声をかけた銀に、泰衡様は力なく答えた。

やはりおかしい…、いつもの貫禄や威厳が全くない。
さっきまでは普通だったのに…?
意気消沈の泰衡様に銀は首を傾げた。



***



その後もいつも通り行動を共にしていた銀。
仕事に出ている時、人と接している時、
泰衡様はいつも通りの態度を取っている……

つもりのようだが、銀はやはり泰衡様が落ち込んでいるのを感じていた。

日々の忙しい仕事に追われ、疲れも溜まっているだろうし、ストレスだって溜まっているだろう。
泰衡様は、顔に似合わず意外と繊細な心の持ち主なのだ。

だが、あの泰衡様がここまで沈んでいるのは相当のもの…。
そして、あの泰衡様の精神にここまで影響を与える人物といえば…。


「泰衡様、銀さん。」


午前中の軍議が終わり、屋敷に戻る時間のできた泰衡様と銀。
二人が屋敷に入ると、いつもの如くが出迎えに出てきた。
いつもと変わらない様子で、二人に頭を下げ、


「お疲れ様です。」


と、言って笑った。


「お出迎えありがとうございます、さん。」


銀もいつも通りの言葉を返し、にっこり笑った。
そして泰衡様は…。


「……行くぞ…銀…。」

「…え…泰衡様…?」


ふいっとを避けるように、早足にその場を去っていった。
銀は慌てて後を追いかけたが、取り残されたようになってしまったは、
少し寂しそうな顔をし、その場を離れた。

泰衡様を追う前に、そんなの表情を見た銀は、
泰衡様の態度に少し苛立ちを覚えたが、今までの泰衡様の落ち込み振り、
そして今の態度で、やはり原因はであることを確信した。

いつもはたとえ短くとも返事をし、の顔を見るのに、
今日は顔を見ようともしなかった…それはつまり…。


「泰衡様。」

「……何だ、」

「…さんと何かありました?」

「………」


いつもの回りまわった様な言い方ではなく、直接的な言葉で尋ねた銀。

それだけ泰衡様のこと、そしてのことを心配していたからだが、
その言葉に泰衡様は明らかに顔を歪めた。

やはり何かある…。

再度確信した銀だったが、泰衡様は顔を背け、
深い息をつくと、


「何でもない……」


と返し、それ以上は拒むように足早に去って行ってしまった。


「………」


正直、直接的な言い方をし、泰衡様の逆鱗に触れ、責められるのを覚悟していた銀。

だが、泰衡様は苛立った表情ではなく、傷ついた顔をした。
深く漏れたため息からもその気持ちは明らかだ。


(あの泰衡様があそこまで落ち込まれるとは…)


流石にこれ以上は泰衡様から引き出すことはできないと踏んだ銀。
攻める相手を変えることにした。
…これ以上、泰衡様の傷ついた顔を見るのも辛かったからでもあるが…。



***



さん」

「あ…銀さん…」


泰衡様にこれ以上探りを入れられないとなると、残りは原因であるこの少女のみということになる。
彼女の方に非があるとは思えないが、泰衡様の気持ちをここまで動かすのはしか居ない。

何とか話をしたかった銀だが、泰衡様は意識的にを避けていて、
泰衡様と共に行動している銀は中々と話す機会がなかった。

数日後、やっと時間の取れた銀は、銀は意を決してに尋ねた。


「あの…さん…泰衡様と…何かありました…?」

「え…」


銀の言葉には少し怯んだような顔をしたが、
銀がじっと顔を見つめていると、顔を伏せ、もまた落ち込んだ表情をした。


「……さん?」

「あの…私何か…何か泰衡様のお気に障ることを…してしまったんでしょうか…。」

「え?」

「最近泰衡様にお会いすることがあまりなくて…。
 お会いしても…以前みたいにお話して下さらなくて…。」

「………」

「私…泰衡様に嫌われてしまったんでしょうか…。」

「……さん…」

「……っ…」


は泣きそうな顔になり言葉に詰まった。
その表情、そして言葉から、の方にも非がないことを、銀は感じた。

泰衡様が何か傷ついているのは間違いないようだが、
今の泰衡様の態度にもまた傷ついている…。


「…大丈夫ですよ。」

「……銀さん…?」

「大丈夫です…泰衡様が貴方を嫌うなどありえませんよ。
 だから…心配しないで…さん…貴方は…笑顔でいて下さい…。」

「………はい…。」


理由はわからないが、…きっとすれ違いや何か誤解があるだけ…
そう思い、銀は何とか二人を仲直りさせようと固く決意した。

この二人が…こんな風であるのは銀にも耐えがたいことだから…。



***



それからしばらく…銀はいろいろ調べていたが、
なんせ当人達が話をしてくれない、或いはわかっていないだけに捜査は難航した。

傷ついている二人を問い質すのも気が引けるし、
できれば二人に負担をかけずに何とかしたかったが…。

互いに落ち込んでいる姿…見るに耐えなくなってきた銀は強硬手段に出ることにした。


さん!ちょっときて下さい!」

「わっ、は、はい…?」


を引っ張っていった先は泰衡様の部屋。
仕事がひと段落して、部屋で休んでいる所だった。

気まずい話になるかもしれない。
お互い話せるかもわからない。

でも、二人はすれ違っているだけだと信じていた銀。
きちんと話をするのが最良だと判断した。

お互いに相手を想っているのなら、話せば伝わる。
決して悪いことにはならないと…。


「………」

「………」

「………銀…何のつもりだ…」


ここ数日、泰衡様が故意にを避けていたこと、
銀が分かっていないはずもない。

それなのにを連れて来たことに、
泰衡様は苛立ちを露わにして銀を睨み付けたが、
それを受け、銀はあえて笑顔で泰衡様に返事をした。


「いえ、最近お忙しくて、
 さんとお話しする機会がありませんでしたし、せっかくお時間が取れたましたので…」

「………」


銀の言葉、そして笑顔を見て、泰衡様は盛大なため息。

も突然のこと、そして泰衡様に会うのも久々のことで困惑していたが、
銀が気をつかってこの場を用意してくれたことは痛いほど分かっていたので、意を決して口を開いた。


「あの…泰衡様…!」


だが、必死に言葉を口にしたに、泰衡様は冷たい一言。


「俺は何も話すことはない。」

「…!」

「…泰衡様…。」


と話すのを拒むように言った泰衡様の言葉に、
銀ももショックを受けたが、何故かそう言った泰衡様が一番傷ついた顔をしていた。


「………もう仕事に戻れ
 …お前は…俺と話をするのは疲れるのだろう…?」


そして、苦しそうに呟かれたのはそんな言葉。
は目を丸くして驚いた。


「……え?」

「…お前が…俺と話すのは疲れると…だから…俺は…」


辛そうに顔を歪めて呟いた泰衡様。
どうやらそれが、泰衡様が傷ついていたこと。
を避けていた理由らしい…。

だが、その言葉に驚いたのはで大慌てで否定した。


「そんな!そんなことはないです!
 私は泰衡様がお話して下さるの、とても嬉しいです!」


必死の形相になり、はそう言って泰衡様に詰め寄った。
その言葉に、泰衡様は一瞬驚いた顔をしたが、いまいち信じられないというような顔をしていた。


「だが…五日前に友人に話していただろう!」

「五日前…?」


吐き捨てるように言った泰衡様の言葉。
は必死に思考をめぐらせた。
銀も考え、あの泰衡様がの様子がおかしくなった、
少し席を離れた時のことだと思い当たり、
そのことを言うと、は思い出したのか慌てて首を振った。


「あ…あれは…疲れると言ったのは…泰衡様のことでは…」

「俺と話すのはと、はっきり言っていただろう、今更…」

「いえ…泰衡様だけじゃないです。銀さんも…」

「…え?」

「その…疲れると言ったのは…首が…」

「「………は?」」


激しく首を振ったは、しどろもどろになりながらも、
何とか誤解を解こうと話し始めたが、何やら思いもかけない言葉が飛び出した。


「その…泰衡様たちとお話していると…首が…疲れて痛く…。
 …皆さん背が高いので…座ってお話している時は平気なんですが…
 長い間見上げていると……少し…疲れるときも…。」

「「…………」」

「す、すみません…;
 あの…泰衡様に非があるわけでは…私の背が低いだけで…;;」

「「…………」」

「……すみません…///


は真っ赤になって謝罪したが、泰衡様も銀も言葉を失っていた。

……つまり完全に泰衡様の勘違い。


「……別に相手は関係なかったんですね。」

「………」


銀の呟きに、泰衡様はガックリと肩を落とした。
今まで悩んでいたのはなんだったのか…。


「あの…泰衡様…」

「………」


すっかり脱力し、俯いていた泰衡様に、
はおずおずと近づいて行くと、顔を覗きこんだ。


「泰衡様…私…泰衡様とお話しするの好きです…。
 そんなに長い時間じゃなくても、一言だけでも、泰衡様の言葉も声も、聞けたら安心します。」

「………」

「だから…これからも…よければお話して下さいますか…?」

「………」


そして告げたのはそんな言葉。
思わず顔を上げた泰衡様はを見て名を呼び、それを聞いたは嬉しそうに笑った。

その笑顔に嘘はない…。

泰衡様はやっと肩の荷が下りたように、
ふっと表情を和らげたが、銀の視線を感じまた厳しい表情に戻った。

ただそれでも、の言葉には返事を返した。



「……気が向いたら…な…」



なんとも泰衡様らしい返事。
素直ではない言葉。

それでも、ほっとしたような空気に包まれた二人を
銀はそれは安心した笑顔で眺めていた。




戻る



2008.04.11