「大掃除だと?あの蔵の?」

「はい。」

「だが…あそこは…。」

「大丈夫です。心配しないで下さい。」

「…………」





-心の傷-




今日の仕事はいつかの蔵の大掃除。
大したことはなかったとはいえ、火災があった蔵。

もともとあちこち傷んでいたし、
良い機会なので立て替えることになり、新しい蔵がようやく完成した。

古い蔵を取り壊すため、新しい蔵にすべて移動させ、
ついでに掃除をするのが今日のの仕事。

その報告を聞いて泰衡様は顔を顰めた。

あの蔵はにとってあまり良い思い出はないはず。
否、むしろ二度と入りたくない所ではないのか。


もし、またあの時のように…。


そう思った泰衡様だったが、は笑顔で返事した。


「もう今は平気です。
 それに、私一人でするわけじゃありませんから。空さんたちも一緒です。」


泰衡様を安心させるように。


穏やかな口調と表情に、少し、表情を緩めた泰衡様だが、
やはりまだ少し厳しい顔をしている。あの場所と過去の傷。

そんなに簡単に乗り越えられるものでもないと思っているからだろう。
そんなに軽いものではないはずだ。


「…本当に…大丈夫なんだな?」


できることなら一緒にいてやりたいが、
他にも人がいるとなると、自分が一緒にいるのは返って良くないだろう。

悔しそうな顔をした泰衡様は念を押すようににもう一度問い、はそれに大きく頷いて答えた。



***



ちゃん…本当に大丈夫?無理しなくても良いのよ?」


いざ蔵に入ろうとした時、琴もそう言ってを気遣った。
あの時の騒動のことは皆知っているから、
やはりこの場所がに取って良くない思い出であることは誰もが思うことのようだ。


「大丈夫です。ありがとうございます。」


は琴にも笑顔を見せ、そう言って返した。


「おまたせ〜!」


二人が蔵の前でそんな話をしていると、鍵を取りに行っていた空が戻ってきた。
それと…、


「助っ人頼んで来たわ!」


そう言って後ろを指差した先には、


「こんにちは、お久しぶりです。」

「ったく…何で俺たちが…。」


宵と涼がいた。
宵は笑顔で挨拶したが、涼はぶつぶつと不服そうに文句を言っている。
いきなり頼まれ、ここに引き摺って来られたのかもしれない。


「まあまあ、良いじゃないの♪
 ちゃんいるんだから♪久しぶりでしょ〜会うの

「空!!///

「あはは♪」


空と涼は相変わらずのやり取りをしていて、
宵はそれを微笑ましく眺めていたが、近くへくると、と琴に挨拶した。


さん、琴さん、こんにちは。」

「こんにちは。」

「宵さん今日はありがとう、宜しくね。」

「ええ、がんばりましょう。」


こうして、このメンバーで掃除をすることになった。



***



一先ず蔵の中から荷物を運び出し、
外でいるもの、いらないものを選別し、いるものを新しい蔵に運ぶ。

それが今回の掃除の内容だが…。


「この量を俺たちだけでなんて無理じゃないか…?」


蔵に入り、開口一番に涼がそう呟いた。
確かに、荷物の量は半端ではない。
だが、


「やる前からそんなこと言っててどうするの!」

「けどよ…。」

「何事もやってみることが大事だよ。」

「明るいうちにやらないと蔵の中が見えなくなっちゃうよ。」

「がんばりましょう。」


渋る涼を何とか他の四人が宥めすかし、


「運び出しをとりあえず皆でやればいいよ。」


空の提案で各自傍にあるもの、
持ち運べそうなものを運ぶ作業から開始された。


「大丈夫ですか?琴さん。」

「うん、大丈夫。ありがとう宵さん。」

「こんなのいらないだろ。」

「ぶつぶつ言わないでさっさと運んで!」


しばらく黙々と作業が続けられたが、
がふらふらと大きな荷物を持ち出そうとしたのを見て、空が涼に声をかけた。


「涼、涼、」

「何だよ?手伝わないからな。一人で運べ。」

「私じゃないわよ!ちゃん手伝ってあげたら?」

「え?」


ぐいぐいと着物をひっぱり、入り口にふらふらと歩いて行くを指差した。


「こういう時こそ点数稼いでおかないと…。」

「馬鹿!///

「ほら早く!」

「〜〜っ///;」


空は涼の持っていた荷物をひったくり、
背中を押し、涼はかなり躊躇っていたが、
意を決して声をかけようとした……所で別の誰かがに手を差し伸べた。


「大丈夫ですか?さん?」

「!」

「銀さん…」


極さり気ない態度で絶妙のタイミング、さすが銀

またタイミングを逃してしまった涼は空にどつかれた。


「ご苦労さまです。」

「し、銀様!!」


銀の出現に、驚いたのは他の皆も同じで、特に琴は大慌てだ。


「こんにちは、琴さん。今日も可愛らしいですね。」

「そ、そんな…///

「…………」


銀の言葉に琴は真っ赤になり、宵はそれを複雑な表情で見ていた。


「あの、銀様。何か…?」


複雑な心境を抱える面々の代わりに、空が銀に尋ねた。
こういう時、物怖じしないのが彼女の長所だ。
銀は空にも爽やかな笑顔を返すと、


「いえ、本日こちらで大掃除をされるとお聞きしていましたので、お手伝いに。」


と答えた。


「「え!!」」


その銀の答えに驚く空と琴。
藤原家に仕えているという意味では同じだが、
下働きの自分達と屋敷の総領である泰衡様の右腕と言っても
過言ではない銀とではやはり立場が違いすぎるはず。

それなのに…。

驚いて言葉もない二人に、銀は変わらない笑顔で続けた。


「女性ばかりでは大変かと思いまして。
 男性もいらっしゃるようで安心しましたが、やはり多いに越したことはないですし。」

「「…………」」


銀の意見はよくわかるが…と答えにつまる空と琴。
はまだ銀と接する機会も多いため、然程気にならないかもしれないが、
他の人たちには銀も十分立場は上の存在。

と、そんな複雑な顔をしている二人に笑顔を返し、
銀はさっさとの荷物を受け取り運びだした。


「こちらで宜しいですか?」

「あ、はい!ありがとうございます銀様!」


銀の方が先に行動に移ったため、
これ以上は問答をしても無理と判断した空は慌てて銀に駆け寄り、お礼を言った。

物怖じしない空は切り替えも早いようだ。


「無理を言ってすみません。ですが、どうぞお気遣いなく。」


傍へ来た空に、銀はそっと耳打ちした。


「え!む、無理なんてとんでもないですよ!」


それに慌てる空。
銀は変わらない優しい笑顔を浮かべたまま、小声で続けた。


「泰衡様のご命令でして…。」

「え?泰衡様の…?」

さんのことが心配なようで、私に様子を見るようにと…。
 やはりあの時のことがあるので…心配なようです…。」

「…………」


優しかった銀の笑顔にほんの少し陰がさした。
空はあの時いなかったのだが、琴から話は聞いて一応知ってはいるあの時のこと。

この蔵の事件のこと…。

だが、銀や泰衡様の態度を見ると聞いていた話よりもっとずっと大変なようだ…。


「あの…銀様…。」


銀の話を聞いて、少し不安になった空は、躊躇いがちに口を開いた。


「はい、何ですか?」

「その…でしたら、彼女には手伝って貰わない方が良いでしょうか…?
 そんな…そんな辛い事…もし思い出したら…。」

「…………」


めずらしく暗い顔になった空。
それはのことを心底心配しているから。

そんな空に銀は優しく微笑んだ。


「いえ、構わないと…思いますよ。」

「でも…。」

「優しいですね、空さん。貴女のその優しさなら、きっとさんの傷を癒せますよ。」

「……え?」

さんにとってこの場所は、恐い場所だと思います。
 ですが、貴女方と一緒なら…克服できるかもしれません…。」

「…………」

「泰衡様も心配しておられましたが、貴女方と一緒だから大丈夫だと、
 さんがはっきりおっしゃいましたから…。」

…。」


空がの方へ視線を向けると、は琴や涼、宵と楽しそうに話をしていた。
にとってここは近づきたくない場所…。
それがわかっていた空と琴は最初、にはこの仕事を頼まないつもりでいた。

だが、結局はの方から申し出たこともあって一緒にやることにしたのだが…。
もしかしたら、はあの時のこと克服しようと思って受けてくれたのかもしれない。

自分達のことも信頼してくれているから、頼りにしてくれているから…。
銀の話を聞いて、空はそんな風に思った。

じっとを見つめていた空。ふとと目が合い、はにっこり微笑んだ。
それに空も自然と笑顔を返す。そんな二人のやりとりを微笑ましく見ていた銀。
空は視線はに向けたまま、銀に言った。


「ありがとうございます、銀様…。」

「いえ、では片付けの続きを致しますか。」

「はい!」



***



銀も加わり、本格的に掃除が始まった。

銀一人増えただけなのに、さっきより随分効率よく進む。
銀がいることで、皆の気も引き締まり、
特に男性陣、涼と宵は銀に負けるものかと気合いが入ったようだ。


さん大丈夫ですか?それは私が…」

「俺が持ってやる!」

「あ、ありがとうございます?涼さん。」

「…………」

(涼!そのいきよ!)



***



さすがに全てと言うわけにはいかないが、
ほぼ片付いて来た頃、意外な人物がやってきた。


「片付けは終わったのか?」


威圧的な低い声。
一気に周りの温度が下がったような気がした。
そんな雰囲気を纏っている人物は一人…。


「「泰衡様。」」


銀とが同時に声をあげ、他の四人は緊張したように体を強張らせた。
泰衡様は一応皆を見渡し、蔵の中を確認したが、視線を銀とに戻すと二人に声をかけた。


「……別に急ぐ必要はない。今日はこのぐらいにしておけ。」

「……お気遣いありがとうございます、泰衡様。」


意外な泰衡様の言葉に、皆は驚いていたが、銀は嬉しそうに微笑んで返事をした。


「別に…気遣ってなどいない。
 俺が無理矢理遅く迄働かせていると思われたくないだけだ。」


相変わらずの泰衡様の態度と言葉だったが、銀は一礼し、空たちに向き直った。


「それでは本日はこのぐらいで。」

「え?でも…、」

「もう大分暗くなって来ましたし。明日の午前中に済ませれば宜しいかと…。」

「あ、そうですね!」


銀の言わんとしていること、空には伝わったようだ。


「お送り致しましょう、どうぞこちらに。」

「…え?あ、おい。ちょ…」


銀は変わらない笑顔のまま四人を誘導し、そそくさとその場を後にした。
残されたのは当然泰衡様との二人。
涼も空も何か言いたそうにしていたが、銀に誘導され為す術はなかった。


「「…………」」


なんとなく、二人きりになったものの、
何を言ったら良いのかと互いに沈黙していたと泰衡様。

しばらく黙っていたが口を開いたのは泰衡様の方だった。


「戻るぞ、いつまでもここにいても仕方あるまい。」

「はい。」


泰衡様は着物を翻し、早足に屋敷に向かった。
もう辺りはすっかり暗くなっている。
暗い中、この場所にを置いておきたくないのだろう。

あの時のの気持ち、そして過去のことも一番わかっているのは泰衡様だから…。



***



一先ず場を離れ、泰衡様の部屋の前の庭までやってきた。
泰衡様が足を止めたのを見て、今度はが口を開いた。


「泰衡様、ありがとうございました。」


その言葉に泰衡様が振り返る。


「ご心配おかけして…」

「別に…。」


にっこりと笑顔を見せるに、泰衡様は動揺したように視線を泳がせた。
心配していたのは事実だが、はっきり言われると返事に困るものだ。


「でも、私もう平気ですから。」


動揺している泰衡様には気付かず、は言葉を続けた。
はっきりと力強い迷いない言葉だった。


「あの時は確かに恐かったですし、あの蔵に入るの…本当はすごく恐いと思っていました。」

「でも、あの時泰衡様が私のこと…助けて下さいましたから…。
 あの時…したのは恐い思いだけじゃないって思い出したんです。」


まっすぐ見つめ、微笑んだに、泰衡様もの顔を見た。


「今は、泰衡様がいますから、何も恐いことなんてありません。泰衡様が…いますから…。」

……」


本当にほっとしている、心から信頼している表情だった。
そして吸い込まれそうな澄んだ瞳。

泰衡様は誘われるように手をのばしたが、
に触れる前に我に返り、誤魔化すように頭を撫でた。


「!泰衡様…?」


頭を抑えられ、泰衡様の顔が見えないは、
様子を伺うように声をかけたが…。


「まあ…これからも…何も心配することはない…。」

「…………」

俺がいるんだからな…。

「…………はい!」


消えそうな程の小声だった。

それでもの耳には届いていて、
それは嬉しそうな顔で、それは嬉しそうに大きく頷いた。

ずっと恐い思いをしたこの世界、この場所も、
乗り越えられたのは、きっと誰より貴方がいたから…。




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2008.07.14