機嫌の良い声が唄を唄っていた。





-ひだまりの詩-




「あ、」


銀が呟き、泰衡様が何かと思い振り返ると、
白い布がバシッと顔にあたった。


「…………」

「大丈夫ですか!泰衡様!」


銀が慌てて布を取りのぞくと慌てて駈けてくるの姿が泰衡様の目に入った。


「も、申し訳ありません!泰衡様!」


布を飛ばしたのはのようだ。
泰衡様にぶつけたとあってかなり慌てている。
は泰衡様の傍まで寄ってくるとただひたすら頭を下げて謝った。


「すみません!すみません!泰衡様!」


必死に謝る姿にとりあえず怒りも治まった泰衡様が銀に視線を向けると、
銀は承知したように頷き、拾った布をに差し出した。


「ご苦労さまです。お洗濯ですか?」

「は、はい…。す、すみません、銀さん。」


は布を受け取ると銀にも謝った。
落ち込むに銀は、


さんにそんなに必死に追いかけて頂けるなんて、その布が羨ましいですね。」


と言った。銀の言葉にきょとんとした顔をしただったが、
銀が顔を近付けて耳元で何か言うとはかぁっと赤くなった。

そんなの反応に泰衡様の顔が明らかに不機嫌な顔になり、
イライラと気分が悪くなった泰衡様はさっさとこの場を離れようと銀を呼んだ。


「………銀。」

「はい、泰衡様♪」


気分が悪く、明らかに不機嫌な声で呼んだにもかかわらず、
銀は上機嫌といった顔で振り返った。
その銀の顔に泰衡様はますます厳しい表情になっていく。
対する銀はそんな泰衡様の反応を楽しんでいるような笑顔だった。

何故か冷たい空気が吹き荒れ、凍り付いたような場の雰囲気に
がオロオロと狼狽えていると、それに気付いた銀が先に口を開いた。


「泰衡様、そろそろ出られないと遅れますが?」

「わかっている!行くぞ!銀!」

「はっ。」


泰衡様は銀を怒鳴り付けるとずんずんと歩いていった。
銀も後を追って行き、は慌てて頭を下げて見送った。


「泰衡様、銀さん。いってらっしゃいませ。」


の言葉に銀は振り返ると笑顔を見せ、
泰衡様は微かに振り向いたがそのまま去っていった。
は二人を見送ると、洗濯の続きをしに庭へ戻っていった。



***



「泰衡様、如何致しましたか?」


ゆっくり馬を走らせ、少し後ろに付いている銀は
不機嫌そうに前方を睨み付けている泰衡様に声をかけた。


「なにがだ…?」


返ってきた声は不機嫌そのもの。


「御気分が優れないようですが?」


いつも眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな顔をしている泰衡様だが、
今は本当に機嫌が悪い。


「……そんなことはない。」


泰衡様は否定したが、不機嫌オーラが全身から立ち上っている。
銀もわかっていて尋ねているのだ。不機嫌な理由も…。


さんは可愛らしい方ですね。」


ポツリと言った銀の言葉に泰衡様が反応した。
本当に微かな反応だったが、銀は見逃さなかった。


「先日も洗濯をされていた時に、手ぬぐいを木にひっかけて困っておられましたよ。」


銀がそう言うと、泰衡様は、


「馬鹿なやつだ……。」


と、言った。
泰衡様のその言葉は不機嫌な様子もあって、キツイ言い方だったが、
銀には


「しょうがないやつだ。」


と言っているように聞こえた。
やっぱり泰衡様は彼女を気に入っているのだと思うと微笑ましい気持ちになって、銀はにっこり笑った。


「それで、私が取って差し上げると可愛らしい笑顔でお礼を言って下さいまして、本当に可愛らしい可憐な方ですね。」

「…………。」


今度は泰衡様は返事をしなかった。
少し後ろに付いている銀からは泰衡様の表情はわからないが、
不機嫌オーラがさっきより濃くなっている気がする。
きっとそれは不機嫌な顔をしているのだろうと、銀は笑いを堪えていた…。



***



その頃、は洗濯を終えて次の仕事にかかる所だった。


〜!」

「空さん、どうしたんですか?」


が洗濯物を入れていた桶を片付けていた時、
空がやってきてに声をかけた。


「お疲れさま、仕事終わったとこで悪いんだけど、次はこれを買ってきて♪」


空は買い物の用紙と籠をに渡した。


の仕事、次は賄い場の掃除でしょ?
 今まだ私が使ってるから、掃除は私がやるわ。」

「え、別に戻ってからやりますけど…。」

「ちょっと今回ドジっちゃって……、見つからないうちに片付けたいから。」


悪戯っぽく笑った空にも笑った。


「わかりました、行ってきます。」

「ありがと〜vV


空はにお礼を言って抱きつき、


「あ、それとついでに頼まれてほしいことがあるんだけど♪」


と含み笑いをした。



***



「泰衡様お疲れさまです。」


一先ず仕事を終えて出てきた泰衡様に銀は頭を下げ、労いの言葉をかけた。
まだ行く場所はあるが、ここが済めば後は大した仕事ではない。

泰衡様は相変わらずの仏頂面のまま「ああ」とだけ返事をし、
そのまま次の目的地に向けて歩きだした。
が、何かに気付き立ち止まった。


「?如何なさいましたか?泰衡様?」


銀が声をかけても泰衡様は返事をしない。
不思議に思った銀が、泰衡様が目を向けている方を見ると…。


(…なるほど。)


泰衡様が固まっている理由に気付いた銀はまた吹き出した。



***



「涼さん、宵さん、こんにちは。」

「あ、さん。こんにちは。」

「…あ」


空のついでの頼みごとは、涼と宵への届け物だった。
二人の仕事場へ行くとは二人に声をかけた。


「お仕事ご苦労さまです。」


がにっこり笑ってそう言うと、
宵は嬉しそうに笑い、涼は真っ赤になった。


「ありがとうございます、さん。今日はまたどうしたんですか?」

「空さんに頼まれました。届け物です。」


宵に尋ねられ、は預かっていたものを差し出した。


「あ、これは…。わざわざありがとう。助かります。ね?涼?」


宵は離れた位置で真っ赤になっている涼に声をかけた。
突然話し掛けられ、驚いた涼だったが、


「ああ…。」


とだけ返事すると、プイっとそっぽを向いた。
そんな涼の様子に宵が苦笑いしていると、大柄な男の人がやってきて涼の頭をガシガシと撫でた。


「なんだ?涼のいい人が来たのか?」

「と、棟梁!?」


涼が慌てて振り返ったが、
棟梁はガシッと涼を引っ掴んだままの傍へ行くと、


「よお、嬢ちゃん。アンタ涼のいい人かい?」


と言った。


「え?」

「棟梁!!」


涼は真っ赤になって必死に抵抗しているが、
棟梁の力にはかなわないようだ。
は不思議そうな顔をしたが、


「涼さんは良い人ですけど…?」


と言った。の返事に涼は赤くなり、棟梁と宵は笑った。


「ハハハ、そうだな。こいつは良い奴だから、仲良くしてやってくれ!嬢ちゃん。」


バシバシと涼の頭を叩いてそう言った棟梁に、は、


「はい!」


と笑顔で返事した。涼はもう湯でダコ状態だ。


「まあゆっくりしてってくれや。」

「でも、仕事が残ってますので…。」


棟梁の誘いをが申し訳なさそうに断ると、
棟梁は少し思案した顔をしたが、にっと笑うと、


「なら、こいつに手伝わせな!」


と言って、涼を突き出した。


「棟梁!?」


涼が驚いて振り返ったが、棟梁は楽しそうに笑っている。


「あ、あの、でも、涼さんにもお仕事が…。」

「なに一日ぐらい大丈夫だ!楽しんでこい!」


棟梁は楽しそうにそう言って、二人を外に送り出した。


「「…………」」


呆気に取られている間に外に放り出されたと涼は、
しばらく無言で顔を見合わせていたが、涼がため息をつき、


「悪い…。」


と言って謝ると、


「いえ…。」


はふっと吹き出した。


「あ、その…ちゃんと手伝うから…さ///


に笑われ照れた涼だったが、なんとか口にした言葉。


「はい、ありがとうございます。」


は笑顔でお礼を言った。



***



後ろからでも不機嫌だということがよくわからる泰衡様。
理由もわかった。じっと凝視している前方には彼女。
がいて、男の子と一緒にいる。しかもかなり楽しそうだ。
名前を呼んでも反応しない泰衡様に困った銀は、仕方なくの方に声をかけた。


さん!」


名前を呼ぶとはすぐに気が付いて、
銀と泰衡様に気付くとにこっと笑顔になり傍へ寄ってきて頭を下げた。


「泰衡様、銀さん、お疲れさまです。」


笑顔を見せるに泰衡様は動揺していた。
今の今まで不機嫌極まりない顔をしていたわけだし…。


「…お前は、仕事は済んだのか?」

「いえ、でも、涼さんのおかげで早く済みました。」


にこにこと笑顔で報告するに対し、泰衡様はまた不機嫌な顔になる。


(まあ、他の男性の名前が出れば当然ですかね…;)


苦笑いしつつ、二人の様子を伺う銀。
同時に、と一緒にいた少年に目を向けた。
が涼と呼んだ少年。彼も複雑な表情で二人を見ていた。
あの少年もに気があることが一目でわかる。


「泰衡様はまだお仕事ですか?」

「……ああ。」

「そうですか、がんばって下さいね。」


にっこり笑顔でそう言われ、もう行かなければいけないことに気付いたのか泰衡様は銀の方を向いた。
なんとも名残惜しそうな表情に笑いそうになるのを我慢すると、銀はに一礼し、


「御気を付けてお帰り下さい。」


と言って見送った。
仕事がなければ、自分が送ってあげたいのだろうと、
また仏頂面で先を行く主人を見ながら銀はそんなことを思った。



***



「泰衡様…は、やっぱり少し恐いな…;」


去っていった泰衡様の後ろ姿を見ながら涼がそう呟いた。


「そうですか?」


涼の言葉にが振り返った。
不思議そうな顔をしているはそうは思っていないようだ。


「……あんたは平気なんだな。」


涼が苦笑いで尋ねると、は嬉しそうに笑い、


「泰衡様はお優しいですから。」


ときっぱり言った。
心底信頼しているのがわかるの笑顔に、涼は少し嫉妬し、


「じゃあ、まあ、もう行こうぜ。」


の手を取った。



***



涼に送ってもらい、屋敷へ戻ったは朝干した洗濯物を取り込んでいた。
本当は涼にきちんとお礼をしたかったが、と一緒に戻った涼を、
空が散々からかったため、涼はすぐに帰ってしまった。

そんなわけで、涼へのお礼はまた後日にして、は仕事に戻った。
重い布団をふらふらと縁側に運び、他の洗濯物をその上に置いた。
一息つき、布団の上に腰を下ろすと太陽の暖かい匂いにほっと安心したように息を付いた。
そしてそのまま布団の上に置いてある洗濯物を畳んでいただったが、
暖かい布団の上に座っていたのでいつのまにか眠ってしまった。



***



仕事を終えて屋敷に戻ってきた泰衡様と銀は各地訪問の書類を受け取ると、
部屋に戻ろうと庭を回る道を歩いていた。

未だ不機嫌な泰衡様に銀が苦笑いしていると、先の縁側に気になるものを見つけた。
和やかなその様子に思わずクスッと笑みを洩らすと、


「何がおかしい?」


泰衡様が不機嫌そうに振り向いた。


「いえ、あちらに……。」


銀は笑顔のまま、縁側を指差した。


「?」


不機嫌な顔のまま銀が指差した方向に目を向けた泰衡様は『それ』に気付き、
呆れたように大きなため息をついた。

泰衡様と銀が見つけた『それ』と言うのは、縁側の布団の上で眠っているのこと。
辺りには畳んだ洗濯物が。おそらく片付けおわった後に気が抜けて眠ってしまったのだろう。
金まで一緒になって寝ていて、二人とも気持ち良さそうに寝息をたてていた。


「呆れたものだな…。」


傍までくると再びため息をついた泰衡様。
だが、その表情はさっきまでより穏やかだ。


「微笑ましいではないですか。」


銀が笑ってそう言うと、泰衡様は複雑な顔でを見下ろした。
穏やかな寝息をたてて気持ち良さそうに寝ているのなんとも無防備な姿に複雑な気持ちらしい。
いくら屋敷の中とは言え、変な奴でも来たらどうするんだ…。

また段々と厳しい表情になってきた泰衡様に銀が、


「金が羨ましいですね。」


と言うと、泰衡様は怖い顔でキッと銀を睨んだ。
そして、


!起きろ!こんな所で寝るんじゃない!」


と言ってを起こそうとした。


「泰衡様…お疲れのようですし、休ませてあげては如何ですか?」


銀が宥めたが、泰衡様は怖い顔のままだ。
そんな泰衡様の呼び声に、先に目を覚ましたのは金だった。


「わん!」


泰衡様に気付くとしっぽを振ったが、
不機嫌な顔をしている泰衡様の様子に気付き、
理由にも気付いたのか、振り返るとの顔をなめた。


「!!」

「あ…」

「ん…」


金に舐められ、も目を覚ました。
いまいち意識ははっきりしていないのか、起き上がると目を擦った。


「?……あ…や、泰衡様!」


気が付いたの目に最初に止まったのは泰衡様だったが、
ものすごく不機嫌な怒っている顔には慌てた。


「あ、あ、あの!も、申し訳ありません!!」


そのまま布団の上に頭をついて謝った。
仕事の最中に居眠りしていたのだから、泰衡様が怒るのは当然。
は慌てたが謝るしかなかった。

本当は泰衡様が怒っているのは別のことだが…。


「おはようございます、さん。」


銀がにっこり笑って挨拶しても、は不安そうな顔のままだ。


「残念ですね、できれば私の口付けで起こして差し上げたかったのですが…」

「え?」


銀がそう言い、泰衡様がものすごい顔で銀を睨み、
が不思議そうに首を傾げた時、


「わん!」


と金がに飛び付き、また顔をなめた。


「!!」

「あ、金さん。」


は金に気付くと嬉しそうに笑ったが、


「金!!早く下りんか!」


と、当然泰衡様が大声で怒鳴ったので、
ビクッと反応すると慌てて金を抱いて縁側に下ろした。


「あ、あ、あの、すみません、泰衡様;」


何が何だかわからないが、泰衡様がものすごく怒っているのはよくわかる。
はひたすら謝った。


「…………」

「……泰衡様;」


金にまで嫉妬を妬いている主君に銀は半ばあきれ気味にどうしたものかと思案していたが、
何か思いついたのか、にこっと笑いに声をかけた。


さん、お疲れとは思いますが、やはりお仕事中にお休みは感心しませんよ?」

「はい…、すみませんでした…。」


しゅんと落ち込み謝る
さっきは寝かせておいては、と言った銀が意見を変えたのを 泰衡様が不振に思い目を向けると銀は、


「罰として私の代わりに泰衡様のお仕事を手伝ってあげて下さいますか?」


と言った。


「え?」

「な!?」


銀の提案に泰衡様は慌てて抗議しようとしたが、
銀は持っていた書類をに押しつけると、


「この洗濯物は私が琴さんにでも、渡しておきます。」


と言って、洗濯物を持ってさっさと行ってしまった。


「お、おい!銀!」

「しっかりがんばって下さい。」


ひらひらと手を振りエールを送る銀。
果たしてこれはどっちに対して送ったものなのか…。

銀がいなくなって二人唖然と沈黙していたが、
が困ったように泰衡様を見たので、泰衡様は仕方なく、


「……着いてこい。」


と言って部屋に向かった。


「は、はい!」


慌てて後ろを着いてくるは今は、自分だけを見ている。他の誰でもなく……。
そう思うと、それだけのことでも嬉しくて次第に機嫌がおさまってきている泰衡様。

朝、微かに聞こえたひだまりの詩に気をとられ振り返った時、
駈けてきたのがだったこと、
本当は違うのだが、自分の所へ来てくれたのが嬉しかったこと、

姿を見たとき、

声を聞いたとき、

ひだまりのような暖かさを感じるこの存在を、しばらくは 傍に置いておけると思うと、
少し仕事が楽になるかと思った泰衡様でした。




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2007.04.18