「……」

「琴さん?」


外での仕事を終えて戻ってくると、 玄関に琴が立っていた。


「あ、さん。」


が声をかけると琴は顔を上げたが、 何やら困ったような顔をしていた。


「どうしたんですか?」

「実は…届けものを持って行かなくてはならないのだけど、急用ができてしまって…。  
でも、この届けものも今日中でなくてはいけないのよ…」


本当に困った様子の琴には笑顔を向けると、


「それなら私が代わりに行ってきますよ!」


と言った。





-雨音の唄-




(…………?)


ふと通りがかった花壇の前。
泰衡様はなんとなく、違和感を感じた。


(……そうか、いないからか。)


なんとなく感じた違和感の正体に気付くとふっとため息をついた。

数日前に屋敷の前で出会った少女。
銀同様拾って屋敷で働かせることにした少女。

まだ大して日も経っていないが、少女を引き取って数日、
いつもこの時間帯、この花壇の前にはその少女が、がいた。
時間で換算すると圧倒的にがいた時間の方が短いのだが、
ほんの数日でも顔を合わせると、いつも笑顔であいさつをしてきた
が印象に残っているからなのか、居ないことに違和感を感じ、
ほんの少し淋しさを覚えていた。


(あ、泰衡様!お疲れさまです。)


にっこり笑ってそう言ってくれること、
実は楽しみにしていたのか…?

ぐるぐると複雑な気持ちが巡っていて、
認めたくないようなこともあって、泰衡様は花壇を睨み付けていた。


「泰衡様?如何なさいましたか?」


用件を終え、戻ってきた銀は不思議そうな顔をしたが、
泰衡様が目を向けている方を見るとにこっと笑顔になり


「美しいですね。」


と言った。


「…………」

「ここ数日はずっとさんが手入れをがんばっておられたようですからね。」


銀はいとおしそうに花を眺めた。


「……それで、当人はどうした?」


泰衡様はゆったりした空気をかき消すように強い口調で銀に尋ねた。


「少し出られているそうですよ、
 急用でお出かけになれない方の代理で届けものを届けに。」

「………そうか。」


銀の返事を聞くと泰衡様はすっと背をむけ、
小さく答えるとその場を離れようとした。


「あ……。」


不意につぶやいた銀の声に気付き顔を向けると、雨が降りだしてきた。


さん、大丈夫でしょうか…。」


心配そうにそう言った銀の言葉、泰衡様は聞いているのか、
微かに庭に目を向けたがそのまま歩きだした。

雨は少しずつ勢いを増していき、緩やかだった雨音も強く響いてきた。



***



「あ…雨…?」


ポツッと顔にあたった水滴にが顔を上げると
雨はますますひどくなっていった。


「ど、どうしよう…どこか…。」


は慌てて辺りを見回すと、
雨宿りできそうな場所を見付けその下に駈けていった。

別に自分が濡れるのは構わないが、届けものが濡れてはまずい。
一先ず雨が止むのをは木陰の下で待つことにした。


「傘を持ってきた方がよかったですね…。」


残念そうにそう呟き、じっと暗い空を眺めていた。



***



「…………」


降り注ぐ雨が傘に当たって音を立てていた。
こんな時に出かけずとも、と屋敷の者には止められたが、
銀は承知のように送り出し、あとのことを引き受けた。

別に外出するのは少し行くところがあるからだ。
アイツの…のためではない…。

自分自身にそう言い聞かせ、泰衡様は屋敷を出た。
雨は今はさしてひどくはないが、やはりさっきよりは勢いを増している、
急ぐべき…か。

用事で出ると言い張ったものの、
やはりを気にしている気持ちがあるのは否定できない。

自身の思い、行動に複雑な気持ちを抱きつつも、
辺りを気にしつつ歩みを進めていた。



***



「……?」


何か聞こえてくる…?
ほんの一瞬微かに聞こえた、今のは…歌声か?

雨音に交じって聞こえてくる声。
否、むしろ雨音を引き立てているようにも感じる…。

気になった泰衡様は、声のする方へ歩いていった。




零れる雫、天からの涙。

泣いているのは誰なのか。

何が悲しくてないているの?

誰が悲しくて泣いているの?

涙を流すことのできない誰かの代わりに泣いているの?

優しい涙よ、優しい雨よ。

心晴れるまで泣きなさい。

大地は広く、いくらでも受けとめよう。

そして心晴れたら笑ってみせて、

明るい日差しと、青い空を…。




近づくと、微かに聞こえていた唄がはっきと聞こえてきた。
雨音を引き立て、雨音に引き立てられ、なんとも不思議な声だった。
自然の中に溶け込むような澄んだ声。

木々を掻き分け入っていった中、木陰に腰掛け歌っていたのはやはりだった。
下を向いているため泰衡様には気付いていない。
丁度唄が途切れたので、泰衡様はそっと近づくと声をかけた。




「!」


名を呼ばれ弾かれたように顔を上げた
泰衡様の顔を見ると驚いた顔になった。


「泰衡様!?どうなさったのですか?」


主の突然の出現には驚きを隠せない様子、
慌てて立ち上がると泰衡様の傍へと駆け寄った。


「別に……通り掛かっただけだ。お前こそなにをしている?」


町の道からは明らかに外れているこの場所を
『通り掛かった』と言うのはかなり無理があるが、
は素直に届けものを届ける最中に雨に打たれたため、
雨宿りしていたことを話した。


「あ、あのでも、届けものは濡れていませんから大丈夫です!」


必死に弁明するを見て、泰衡様はため息をついた。

庇っていたとはいえ、ここに来るまでにやっぱり少しは濡らしてしまったし、
傘を持たずに出たとか、迷って時間がかかったから雨が降ってきたとか、
いろいろ失態があるから怒られてしまうのかとは身構えたが、泰衡様は、


「お前が濡れているだろう…。」


と言って、傘を差し出し、手ぬぐいを差し出した。


「…………」


泰衡様の言葉と行動には驚き、
思わずじっと泰衡様の顔を見つめてしまった。


「…………なんだ?」


じっと凝視され居心地の悪くなった泰衡様は、
不機嫌そうな顔になり低い声で尋ねた。


「あ…い、いえ、す、すみません…。」


は慌てて泰衡様の手から手ぬぐいを受け取り髪と顔を拭くと、


「ありがとうございます、泰衡様…。」


嬉しそうに笑ってお礼を言った。


「……フン」


にお礼を言われ、顔を背けた泰衡様だが、
怒っているわけではないのは雰囲気が物語っていた。
の傍で庇うように傘をかけているからだ。
泰衡様の優しい行為にが幸せそうに微笑んだ。



***



その後、の届けものに泰衡様も付き合い、
(を迎えに行くわけではないと言い張って出てきたため、傘が一つしかないから・笑)
届け先に、総領自らの来訪と恐縮された。
頻りに休んでいくように進めてくれたが忙しいからと言って、
用件を済ませると泰衡様はさっさと帰っていった。
もちろんも一緒に。



「ありがとうございました。泰衡様。」



帰り道、隣を歩いている泰衡様にが何度目かのお礼を言った。
わざわざ付き合ってくれたこと、傘を持ってきてくれたこと、
(身長の問題上)傘を持ってくれていることなど、何度お礼を言っても、
感謝しきれない程いろいろ迷惑をかけている。

泰衡様は何も言わないが、はこうして一緒に歩いていることが
何故かとても嬉しいと感じていた。
ふと顔を上げると、自分をじっと見つめていた泰衡様と目が合った。
目が合うと泰衡様は慌てた様子で顔を背け、誤魔化すように口を開いた。


、お前雨宿りしていた場所で何か唄っていたか?」

「え!」


泰衡様の言葉に今度はが慌てた。


「き、聞いておられましたか…;」


真っ赤になって俯いた。
フッと泰衡様が笑ったような気がして、
そっと顔を伺うと機嫌はよさそうな感じだった。


「雨の唄…か?」

「…はい…昔、母様が教えてくれました。雨は空の涙だと…。」

「…………。」

「悲しい事があった時、誰にでも涙を流す権利はあるのです。
 涙と一緒に悲しみを外に流しだすために。
 でも、それができない人、しない人の代わりに空が泣いているのだと…。」

「………。」


泰衡様は黙っての話を聞いていた。


「でも、止まない雨がないようにどんな悲しみもいつか晴れて、
 その時は笑顔を見せてくれることも空は教えてくれているって。」


にっこり笑ってみせたに泰衡様はまたフッと笑ってみせた。
今度は少し皮肉を込めたような笑いで、冷たい目を開くと呟くように言った。


「………綺麗事だ。」


だが、は微笑みを絶やさずに答えた。


「そうかもしれません。でも、私は……この唄好きです。」


迷いない、真っすぐな笑顔に泰衡様は少し困惑気な表情を見せたが、
それでもから視線を外すことはしなかった。否、できなかったのか…。


「この唄は優しい空のことを唄っていますし、 私もそこも好きですが、
 空が泣けるのは大地があるから、涙が晴れたとき笑えるのも大地があるからです。
 何も言わず、受け止めてくれる方が…本当は一番優しいのかもしれませんね。」


いとおしそうにそう呟いた、優しいの表情にドクンと胸が跳ねた。
綺麗事だと馬鹿にしても、微かにひかれているのも事実かと…
泰衡様は複雑な気持ちを素直に認めた。

は顔を前に向けると何かに気付き、ぱぁっと嬉しそうな顔をした。


「それに、ほら見てください!泰衡様!」


タッと傘から飛び出し少し前で立ち止まって振り向いた。
雨は止んだようだ。が指差した方を見ると美しい光の橋が空にかかっていた。


「あれも、優しい空から優しい大地への感謝の気持ちです。」


にっこり笑ったの笑顔に泰衡様は雨の唄を悪くないと…、
もう一度聞いても良いとさえ思っていた。

はまた虹の方へ向き直ると思い出したように言った。


「そういえば、もう一つ母様が言っていたことがあります。」

「なんだ?」


泰衡様が尋ねると、は振り返り、にこっと笑って、


「虹のふもとには宝物があるという話です。」


と言った。


「………宝…か。」


泰衡様は呆れたようにため息をついたが、は、


「泰衡様の宝物はちゃんとありますから、やっぱり本当なんですね。」


と言った。


「俺の……宝?」

「はい。」


怪訝そうな顔をする泰衡様に対し、は自信満々な笑顔だった。


「なんのことだ?」


わけがわからず、尋ねた泰衡様に、はきっぱり言い切った。


「もちろん、この平泉の地です。」

「!」

「私、この平泉が好きです。美しいこの土地と、ここに暮らす優しい方たちが…。」

「…………」


言葉に詰まった泰衡様だったが、
この平泉の地を好きだと言ったの言葉は嬉しいと思っていた、
この地のために懸命な父上と…自分自身にとっては嬉しい言葉…。

出会って間もない幼い少女、綺麗事ばかり、理想ばかり、
本来なら馬鹿な奴だと思うはず…だが………、
幼さゆえの純粋さか…気持ちに不快なものは感じなかった。
むしろすっと心に入ってくる。


(虹の麓の宝…か…)


光の橋の根元に重なるように立っている少女。
この平泉の地以外にも、宝を見つけたと…微かに心は感じていたが、
泰衡様はまだこの時は気付いてはいなかった。




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2006.11.07